Sunday, July 30, 2006

メンタルの強さ

これまでスポーツにおける成功とか、スポーツと人間的成長などについて議論を繰り広げてきました。これらのトピックは、スポーツや他のパフォーマンスに携わる人間にとって、半永久的なテーマでもあり、状況や環境、成長段階によって変わるものでもあると思うので、このブログを読んでくれてるみなさんが何か思うことがあれば、いつでも書き込んでください。考えや意見がまとまらなくても書くことによって少し整理されたり、他の人に意見を聞くことによって自分の考えがまとまることもあると思うので、気軽に書いてみてください。

さて、今回はスポーツ心理学の本体に少し近づいたトピックを投げてみたいと思います。

「メンタルの強さとは?」

おいおい、これまた曖昧なトピックだなーと思ってる人も多いことでしょう。ですが、物事の大切なことの一つに正解、不正解のないものを考え抜くこと、というのが挙げられると思います。過去の書き込みにも「自分の哲学」というフレーズがありましたが、こういうシンプルだけど、答えのないものを考えるというのは、自分の哲学を作り上げるのにいいアプローチだと思います。そんなことどうでもいいって人は、ぜひこの簡単な問いかけについて気軽に考えてみてください。ちなみに今回のこのトピックも例によって正解、不正解の類いのものではありません。ただ、パフォーマンスに関わるみなさんが、さらにメンタルに興味のあるみなさんが考える「メンタルの強さ」について少しでも言葉にしてもらえたら、それで十分です。それは、自分の理想でもいいし、自分の中にすでに持っている何かでもいいし、誰か好きなアスリートや他のパフォーマーが持っているものでも何でもいいです。

さて、手始めに自分から「メンタルの強さ」について思うところを書いてみます。自分の競技生活を振り返って、またいろいろなアスリートを見聞きする中で、「メンタルの強さ」を表す性質で、今特に大切だと思うものは2つあります。

「継続性」と「一貫性」

例えば、勝負どころや土壇場で周りがびっくりするような成果を出しているアスリートがいます。ですが、それはたいていの場合、びっくりしているのは周りであって、本人はびっくりしていません(まあ稀に「自分でもびっくりです」なんてこともあるけど)。なぜなら、本人は日頃からそのための準備をしているから。つまり本人達にしてみれば、日頃やっていることを、勝負どころや土壇場でもやっているにすぎないのです。

それなら「オレだっていつも一生懸命練習してる」って言う人もいると思います。では、本当に常日頃、1時間1時間、一分一秒コツコツと練習している人がどれだけいるのでしょうか?もし毎日30分、練習で手を抜く人がいたら、その人は毎日30分ずつ人から遅れていくことになるわけです。練習場に来てても「今日はやる気がしない」と言って練習中、上の空になってしまっても、それはコツコツとは言いがたいですね。それが、1ヶ月、1年と経つと、どれだけの差になるかは想像出来ますよね。

アスリートも大人になればなるほど、スポーツ以外のところでやらなくてはいけないことが増えてきます。仕事だったり、学業だったり、家庭だったり。誘惑も増えてくるでしょうし、断れない用事もあるでしょう。そんな中で、「毎日コツコツ」というのが実はどれだけ価値のあることかというのは理解出来るでしょう。「継続は力なり」というのは見事に的を得た諺だなっていつも思います。

ひとつエピソードを紹介したいと思います。これは女子柔道でオリンピック3大会でメダルを獲得した田辺陽子選手の話なんですが、あるとき、彼女が自分の所属しているミキハウスの木村社長と会食をしてたそうです。しかし夜も更けてきたころ、就寝時間なども徹底して自己管理していた彼女は途中で帰ってしまったそうです。自分の所属する会社の社長との会食中にです。おそらく彼女の行為は賛否両論でしょう。しかし、彼女は柔道で成功するために自分のコンディショニング、生活のリズムを優先させたのです。この話は、彼女のように自分が決めたことを継続する執念が土壇場で大きな力になるのだろうという気にさせてくれるとともに、何かを継続することは簡単ではないということを感じてしまうエピソードだと思います。

次に、「一貫性」についてですが、これは「どういう練習をしているか?」ということです。練習はまぎれもなく試合のためにあるものであって、「試合でこういうプレーをしたい」ということを練習に反映させることが必要です。それは技術練習であったり、フィジカルなものかもしれないし、このブログでも取り上げていく、メンタル的なものかもしれません。ただ、練習→試合という流れが常に一貫したものである必要があります。よく「練習のための練習」という言葉を使いますが、試合でよりいいパフォーマンスをしたいのであれば、どういう練習をするべきかというのを突き詰めて考える必要があります。それには、数多くのアプローチが存在すると思いますが、その中から自分に合った効果的なものを選ぶには試行錯誤する必要があるでしょう。実際、時間のかかる作業です。あれこれ試すのは大切なことですが、例え練習メニューを変えていったとしても、最終的には自分の中で一貫したものを築く必要があります。「自分はこういう練習をこれだけやってきたので、試合でこういうパフォーマンスが出来るんだ」と言えることは勝負のかかった場面で確固たる自信を持ち続けるために、一番の支えになるものです。すべては試合の一瞬まで線でつながっているのであって、一瞬の勝負どころも毎日の継続の中の一点でしかない、ということです。

結局のところ、自分にとって「メンタルの強さ」というのは、パフォーマンスを行う一瞬の状態を指すものではなくて、その一瞬を作り出す日々の中に表れる性質だと思います。勝負の一瞬という「点」までを結ぶ日々の無数の点が積み重なることで、力強い一本の線になるというイメージです。

さて、これはあくまで自分が思っているところの「メンタルの強さ」です。みなさんはどうやって「メンタルの強さ」を言葉にできますか?

Friday, July 14, 2006

アスリートと人間的成長

前回はスポーツにおける成功とは?という議論から何となく人生全般における話へと発展していきましたが、今回も少しその流れに乗っていきます。最初に、「スポーツ心理学ハンドブック (上田雅夫 実務教育出版)」から、一つ題材を紹介します。これはもともとオーストラリアのスポーツ心理学のワークショップで使われたものとのことです。原文を手に入れようと問い合わせたのですが、ちょっと難しそうなので訳文をちょっと要約してみたいと思います。

「The mature professional athlete」

スポーツにおいて成功を収めることは、人生において他の事柄で成功を収めることと極めてよく似ています。成功を収める人は「成熟」と呼ばれる態度を持っています。普通は年齢とともに、経験を積んで、成熟度は増していきますが、必ずしも経験=精神的な成熟とは限りません。最初のステップは「成熟」がどれだけ重大な意味を持つかを理解することです。成熟した人間が持つ態度や行動は、スポーツに限らず、人生のあらゆる場面で活かすことが出来るはずです。その成熟した人間が持っている特徴とは次のようなものです。

1. 責任
成熟したアスリートは、彼ら自身が意思決定の際に「選択権」を持っているということを認識しています。意思決定を他人に任せてしまったり、他人のサポートに依存しすぎてしまっている人は、もし自分の望んでいない結果が出てしまった時に、他人の責任にしがちです。成熟したアスリートは、自分で意思決定を行い、目標を設定し、目標達成に向けて努力をし、そして次の目標へのモチベーションを高めていきます。つまり、自分の人生を自分でコントロールしているのです。もちろん、彼らも他人から学ぼうという姿勢は持っていますが、最終決定は彼ら自身で下すのです。
次に、成熟したアスリートは自分自身の強みと弱みについて責任を持っています。自分の強みと弱みを受け入れて、弱点を克服し、強みをさらに伸ばすべく努力を続けることです。彼らは自分で超えられる限界と、そうでない限界を区別しています。

2. 気づきと受諾
自分の強みと弱みを受け入れるためには、まず自分自身を冷静に観察することが必要です。成熟したアスリートは自分自身を良く理解しています。世の中の人間は十人十色で、ものの見方は人それぞれです。自分自身を知るためには、まず自分がどのように物事を見ているのか、どのように認識しているのかを理解する必要があります。そして、それは他人とは異なる、自分自身の物の見方だということを受け入れる必要があります。成熟したアスリートは自分を他人に似せたいとは思わないし、自分を他人と比較するようなことに時間を浪費しません。彼らは自分自身をありのままに受け入れ、自分自身の能力を最大限まで高めるよう努力します。

3. 現実性と合理性
自分自身を受け入れるためには、現実的に、客観的に、そして合理的に自分自身を、または自分の周りのことを見つめる必要があります。短期間の目標設定を行い、自分のパフォーマンスと比較できる基準を持つと、より現実との対比が出来るようになります。よりよいパフォーマンスをもたらす要因をリストアップしておくのもいい方法です。こうしたことによって、自分のパフォーマンスを客観的、現実的に評価することが出来ます。
また「成熟」さを表すものに、合理的な物の考え方を挙げることが出来ます。合理的な物の考え方とは、現実的で肯定的に物事をとらえ、自分の目標に向かって邁進する役割を果たします。それはプレッシャーのかかる場面でも、自分の気持ちのバランスを保つのに役立ちます。合理的な信念の例としては、「自分の能力を最大限発揮するために頑張ろう」などが挙げられます。
一方、非合理的な物の考え方は、否定的で、目標に向かう行動を阻害します。それは、例えば「完璧でありたい」というようなものです。アスリートとして可能な限り自分を高めることは重要なことですが、完璧でいるということは果たして可能でしょうか?このようなアプローチは、自分をただプレッシャーの中に放り込んでしまうだけです。このような、否定的で、非生産的で、挫折の危険性を伴う非合理的な考え方を自分自身で見つけ出し、それらを自分で合理的で生産的な考え方に置き換えられるようにしましょう。

4. 自己管理
1日の中で、アスリートはトレーニング、仕事、家庭など多くのことに時間を割かなければいけません。これらのことをうまく処理するためには、時間やエネルギーの配分をうまく割り振る必要があります。そのためには、計画を立て、優先順位を決め、その計画を実行に移します。そして、1日の終わりに、それらがうまく行われたかどうかを確認しましょう。若いうちは家族や周りの大人が、いろいろと助けてくれたかもしれませんが、もし自分が成功したいと思うのであれば、自分自身で目標を定め、優先順位を決め、実行する癖をつけなければいけません。

5. 粘り、忍耐
成功への道は長く、険しく、そして多くの障害が立ちはだかります。それはケガであったり、スランプであったり、グランド外で起こることかもしれません。いつもコンスタントに進歩できるとは限りません。物事が前進することもあれば、後退することもあるでしょう。成功を収めるアスリートは、この後退現象は自分の努力や周りのサポートを得て、克服可能であることを学んでいます。例えば、今まで立ち向かってきた自分のパフォーマンスに障害となる物、そしてそれらをうまく処理したことをリストアップしてみましょう。このアプローチは自分が後退現象をうまく処理する能力があること、改善する方法を知っているということを気がつかせてくれるでしょう。

さて、以上ざっとまとめてみましたが、どうだったでしょうか?「成熟」とか言われるとあまりピンと来ない人もいるかもしれませんが、前回のディスカッションでちらほら出てきた「人間的成長」とか、「心を磨く」といった、割と広く捉えられがちな表現も今回の5項目で少し具体的に見えてきた人もいるのではないでしょうか。自分としては自己認識、自己責任、自己管理あたりがキーワードになってくる気がします。もちろんどれが正しくて、どれが正しくないという部類の議論ではありません。みなさんが各々の価値観、人生観に基づいて、「人間的成長」に必要なものは何かっていうことを考えていただければいいと思います。さて、みなさんはパフォーマンスの向上につながる人間的成長とか成熟と聞いて、どんな性質、行動、態度を思い浮かべますか?

Tuesday, July 04, 2006

NAKATA

今回はスポーツ心理学には直接関係ないけど、皆さんご存知の通り、サッカー日本代表の中田英寿選手が引退を表明したということで、そのことについて書いてみたい。

29歳という若さでの引退について、本人はそのことについてHPでは直接触れていないが、周囲から「早すぎる」という声が出ているとともに、「彼らしい引き際」というコメントもちらほら見る。実際自分は早いとも遅いとも思わず、ただ「彼らしいな」思ったが、同じような印象を持った人も多いのではないか。彼の持つ印象と言えば、サッカーでは世界で通用するレベルを持ちながら、それは彼の人生の一部であって、本人は一生何らかの形でサッカーに関わっていくにせよ、サッカーだけで人生を終えるつもりはない。HPをのぞいてみても、そのデザインはオシャレだし、日記からも、彼の興味がファッション、インテリア、音楽など多岐に渡り、サッカー以外の活動を見てみても、ビジネス、語学習得、異文化への関心など様々なことに対して意欲的に自分のアンテナをのばしていることが伝わってくる。

自分は正直に言うと、日常的にサッカーを見ているサッカーファンではなかったんだけど(1998年以来、W杯の後にはいつも、「これからはサッカーを見続けよう」と思うんだけど)、中田選手のことは何となくいつも気になっていた。きっかけは、かれこれ4、5年前だと思うが、「ZONE」という日本のテレビ番組からだったと思う。そこに出てきた高校時代の中田選手は、初々しさこそあったもののテレビの前で堂々と「ヨーロッパでサッカーをやりたい」という自らのビジョンを語っていた(「治安がいいところがいいです」って付け加えていたのが何ともかわいらしかった)。そして、若くして代表に入った彼が、カズを相手にも堂々と自分の意志を見せてた姿がとても印象的だった(確か映像は中田が蹴るはずのFKをカズが蹴ると言い出したことに対して、怒りを表していたシーンだったと思う)。高校時代から自分の理想とするプレーがあって、目先の勝ち負けよりも、チームとして理想の形を求めることを優先させていたというような印象があった。その後、海外でプレーをするという本人のビジョン通り、彼は若くしてイタリアに渡る。海外でプレーする最初の日本人ではなかったけれど、その後多くの選手が、彼に続いて海を渡ることを夢見ることが出来るようになったという点では、野球界で言えば野茂選手の功績に似ているし、2人とも「先駆者」という表現がふさわしいと思う。

そして、これは自分個人の印象だが、野茂選手にしても中田選手にしても、「先駆者」である彼らは、その後に続く選手に比べて、実力うんぬんという以外に、明らかに「何か」が違うような気がする。野球界もサッカー界も、近年では続々と選手が海外に出て行く傾向にある。だけど、選手としての成果、実力以外の部分で、オーラ、誇り、貫禄、意志、プライド、存在そのもの、が他の日本人選手からは見えてこない「何か」を持っている気がする。そして、彼らの共通するところは、自分が日本を離れてからも、自身が巣立ってきた日本への思いを持ち続けていること(自分の経験からいうと、日本を離れたからこそ持っているのかもしれないが)。野茂選手は自身でクラブチームを設立しているし、アメリカの独立リーグのチームに日本との架け橋になるよう投資した。中田選手も自身がいたチームをサポートしている。つまり、彼らはマスコミを前に饒舌に口を開くことはないが、時に孤高などと言われる彼らがグランドの外で、他のアスリートや将来の若者達のために一肌脱いでいる。

スポーツ心理学を勉強して以来、人間的成長がスポーツの成功には不可欠だという思いが強まっている。「スポーツにおける成功」とはこれまた定義が難しいが、自分にとっては少なくとも一時の活躍を指しているものではない。スポーツは、特にプロスポーツの世界は記録やパフォーマンスの結果を通じて勝ち負けを争うもので、我々は、ついついその記録や結果の優劣についてのみ注目してしまいがちだ。しかし、人間が関わっているこのスポーツのパフォーマンスには必ずその人間の持っている性格、意志、信念、価値観が現れてくるのである。「スポーツにおける成功」とはおそらく相手に勝つこと、記録を出すことだけではないんだと思う。自己の信念を全うし、意志を貫き通し、パフォーマンスを通じて自己を、自己の価値観を表現しきれた者が「成功」を実感できるのだと思う。

「意志あるところに道は開ける」

自分が好きな言葉の一つである。彼らは自分自身の道を切り開いていくことによって、多くの、後に続くアスリート達に道を残してくれた。彼らが常に自分の意志を持っている限り、今後も自分自身の道を切り開いていけることだろう。たとえ、競技の一線から退いたとしても。自分はそういうチャレンジ精神、勇気、意志、プライド、誇りを得ることが、また「スポーツにおける成功」だと思っている。

自分は今でも野茂選手のおかげで自分がアメリカ野球に興味を持てて、そして現在に至っていることに感謝している。中田選手にも、野球ほどではなかったが、サッカー、そしてHPなどを通じて彼の価値観に触れることが出来たことに感謝している。そして、もちろん彼らとは全く異なるものだが、自分で自分の道を切り開くという意志を持つことが出来たことも、少なからず彼らからの影響もあったのではないかとさえ思っている。

「スポーツにおける成功」とはアスリートそれぞれの主観によるところであり、周りにいる我々もまた、自分たちの主観によって、アスリートの成功うんぬんを好き勝手に議論するものである。だけど、彼らはプロのサッカー、野球の世界において記録、実績においては文句なく成功を収めたアスリートであり、それは彼らの持つ才能や肉体的なもののみならず、人間的な部分が大きく関わっているように思えてならない。そして彼ら自身が、彼らのプロスポーツ人生を「成功」と思えるよう心から願っている。

中田選手の引退を惜しむ気持ちと同時に、次はどんなことをしてくれるんだろうか、という期待がすぐに自分の中から出てくることもまた事実である。プレーのみならず、引き際でも、また我々に考えさせてくれるきっかけを与えてくれた彼の存在の大きさを改めて認識した。そして、セカンドライフでもまた我々に。。。と期待してしまう。