Friday, December 19, 2008

4歳児のスポーツ教室

ミクシイにも書いたのですが、我が娘オリーブがこの秋からアイススケートを始めました。ウチは自分も妻もスポーツは好きなので、日頃からオリーブにとってもスポーツは割と身近だったと思いますが、まさか自分の娘がアイススケートを始めるなんて思ってもみませんでした。親にとっても手探りで始まったアイススケート教室でしたが、彼女を通じてこの短期間にいろんな体験が出来て、親としてもスポーツ心理学の学生としても、とても有意義な時間を過ごせています。

さて、オリーブはスポーツと身近だったと書きましたが、なんと言っても彼女はまだ4歳なので、親としても、ゆくゆくは何かスポーツを楽しんでくれたらいいな、そろそろ何かスポーツを習わせたいな、くらいに思ってました。そんな中、アイススケートに触れる機会があり、本人も随分と興味を示したので、親も気軽な気持ちでアイススケート教室に申し込んでみました。

いざ、スケート教室に行ってみると、同じ年くらいの小さい子供向けの初心者用の、週1回30分のレッスンが始まりました。レッスンと言っても、まだ半分くらいの子供たちが補助器具からスタートするくらいのレベルでした。さらに、このスケートリンクには、クラスの受講者は週1回入場料タダで滑れるという特典がついてたので、レッスンとは別にもう1日来ることになりました。そのうち、そんなに来るならレンタルシューズの方が高くつくなあ、なんてことになって、本人念願の白いスケートシューズを買うことになりました。さらにモチベーションアップです。さて、そこで、さらに追い風が吹きます。このスケートリンクは5歳以下は入場料がタダなんです。つまり、レンタルシューズにお金を払う必要もなく、入場料もタダとくれば、彼女は、いつでも好きなときにお金を払わずにスケートが出来る、ということになりました。

オリーブのプレスクールが終わるのが、毎日2時半。ちょうど、その時間にスケートリンクが開いてる水曜日から金曜日までは、そのまままっすぐスケートに通うことになりました。木曜日は30分レッスンがあるんですが、終わった後も30分くらい滑って帰ります。土曜日と日曜日も、たいていどっちかは滑ります。ということで、すっかりスケート三昧の生活になり、しかも、それだけリンクに通えば、だんだんスタッフの方や他の先生方にも顔や名前を覚えられて、声をかけてもらえるようになりました。レッスンでは一緒のプレスクールに通ってる友達もいて、その他にもだんだん友達が増えてきて、周りのお兄さんお姉さんにも声をかけられるようになって、本人もだんだん居心地がよくなってきました。さらに、4歳児がこれだけスケートに通えば、自ずと上手になるので、それが何よりのモチベーションです。番外編としては、ちょうど秋口にディズニー主催の「Disney on Ice」というアイススケートのショーが、わざわざ、ここテネシーまで公演をしにきてたので、見に行く機会がありました。

こうして、アイススケートとオリーブ自身のつながりが、いろんなところから深まっていきました。
  • 週1回のレッスン
  • 日々の練習
  • スケート教室の先生やスタッフの方々
  • 友達
  • テレビやディズニーのショーを鑑賞
そして、いろんな要素がモチベーションの向上につながっています。
  • 練習による技術向上
  • 先生やスタッフの方たちとの触れあい
  • 友達との関わり
  • 親からのサポート(たぶん。。。)
  • 新しい道具(スケートシューズ)やウェア
  • 練習後のアメやココア(笑)
4歳とはいえ、レッスンや練習を通じて、うまくなることや技術を身につけることというのは、本人も既に自覚していて、大きな関心ごとになっています。つまり、この年齢の時期なら「楽しい」という要素が欠かせないということは、想像に難くないと思いますが、一方で、練習して○○が出来るようになったという「出来た体験」は、モチベーションにつながるとても大きな要素になると言えます。

今回のオリーブの体験の中で、この年齢層とスポーツとの関わり合いについて考えてみると、大きな柱は以下の3つかと思います。

  • そのスポーツへの興味
  • 出来た!体験
  • 居心地の良さ

ひとつは、当然ですが、そのスポーツに対して興味があるというのが理想です。でも、小さい子供にとっては、本人にしてみても本当に自分がそのスポーツが好きかどうかわからないなんてこともあるでしょう。親に勧められるがままに、とか友達がやってるからということもあるでしょう。そういう場合には、技術であれ何であれ、本人が向上したことを自覚出来るようなアプローチが必要だと言えるでしょう。つまり、どんなに小さな簡単なことでも、本人が「出来た!」と思えることは、そのスポーツへの興味にもつながりますし、本人にも自信になります。

さらに、練習をする環境が本人にとってどれだけ居心地がいいか、ということも非常に大切な要素と言えるでしょう。特に、インストラクター、コーチの存在は大きくて、「コーチが好きだから練習に行きたい」っていうのは、子供にとって自然なことと言えると思います。現に、ここのスケート教室のインストラクターの方々は、経験も豊富で、どの年齢層にもレベルにも対応してくれます。練習をのぞいてみても、人形や、いろんな小道具を使って4歳児には楽しいひとときだろうなぁって思えるようなアプローチで、かつ、技術もしっかり教えてくれています。さらに、子供たちへの接し方も、さすがアメリカ人と言わんばかりのオーバーリアクションで、どんなに小さなことでも出来れば褒められ、教える方も教えられる方も笑顔の絶えない時間です。で、練習が終わればハグして、また来週。とまあ、子供にとっては最高に過保護な(笑)環境です。

こうして、日々おだてられて、木に登り始めたのがオリーブです 笑。この年齢層の子供とスポーツの関わりを考えたときには、スポーツの体験を通じて子供たちが、物事への意欲や自分に対する自信を得られたり、友達が出来たり、人との接し方を学んだり、と言った社会性を身につけることが出来たとしたら、スポーツが子供にとって大きな役割を遂げたと言えるでしょう。もちろん、その後もスポーツを続け、選手として成果を挙げれば、なおよしですが、それは、今の段階においては、大きなボーナスみたいなもんでしょう。ちなみに親としては、我が子がどんどん滑れるようになっていくのを見届けられたり、スケートを通じて他の家族やコーチと接する時間というのが、楽しみの一つになっています。

Sunday, October 05, 2008

誠意を伝えるには

今回のテーマは以前書いた、時間の使い方ということにも少し関わるのですが、今日はちょっと違う視点も織り込んで「誠意」ということについて書こうと思います。世の中では「いい人」であるというのは、人を評価する上で、重要視する人は多いと思います。でも、ざっくり言って「いい人」と言われている人はちらほら周りにいるのではないかと思います。「根はいい人なんだけどね(←いまだに、これどういう意味だかよくわからないときがある)」とか「いい人なんだけど。。。」という人も含めると、結構いるでしょ。ところが、「誠意のある人」というのは、どうでしょうか?

普段接している人を見ていて、「こうありたい」という行動の一つに、「アクションが早い」というのがあります。それは、仕事が出来るということの条件でもあるように思えるし、さらに接している人への誠意でもあるような気がします。自分の指導教授は、スポーツ心理学会でも会長を務めたほどの有名人ですが、いつもは淡々とした人です。大学での仕事のほかに、教科書を執筆したり、アスリートにメンタルトレーニングをしたり、と忙しいはずなんだけど、彼の口から「最近忙しくて。。。」などというセリフは、一緒に過ごしてきた、この2年間聞いたことがありません。メールを送っても、すぐ返信が来るし、レポートや、学会発表の下地などを送って感想を求めても、あっという間に返事がきます。とにかく仕事が速い。先日もビザ更新のための大使館での面接の際に添付する、担当教授からのレターを依頼しにオフィスに行きました。仕事の速い彼でも2ー3日はかかると思ってたら、「じゃ、今書くよ」とその場でパソコンに打ち込んで、さっとプリントアウトしてくれました。彼の対応の早さというのは、とても自分への誠意を感じますし、仕事の速さというのは、大いなる武器だな、と感心させられます。ちなみに、彼がテンパったり、焦ったりという姿も見たことがなく、何か人生を達観している感さえ、見受けられます。彼の周りでは、とにかく時間がゆっくり流れているように感じるのです。まあ、酒を飲むと、すぐに顔が赤くなって、ほろ酔い状態で饒舌になるお茶目なところもあるんだけど。

7月の頭から日本に戻っていました。現在、剣道を題材にリサーチをしているのですが、友達のつてで、全日本剣道連盟の先生を紹介してもらって、去年の冬からいろいろお世話になっています。この先生は全日本剣道連盟、国際剣道連盟でも理事をされている方で、日本での出張のみならず、しばしば海外にも出掛けられたりする、とても多忙な方です。今回は7月の頭にラスベガスで全米剣道選手権が行われていたのですが、日本からの来賓ということで、この先生もお招きされていました。その後、同じ日程で日本に帰ったのですが、数日後、すでに連盟で働いていらっしゃいました。先生は、年齢的にはご高齢と言ってもさしつかえないと思うのですが、外見も若々しくて、お話が好きで、楽しいし、食欲も旺盛で、何ともエネルギッシュな方です。帰国後すぐに連盟にお邪魔した理由は、日本にいる全日本クラスの剣道の選手にインタビューしたいので、その連絡先を教えていただきたいということでした。先生は、二つ返事で、警視庁、関東近辺の県警の道場の先生の連絡先を教えてくださり、中には、その場で電話をかけて、話をまとめてくださいました。お忙しいにもかかわらず、2、3回会っただけの自分のような若僧の依頼に、さっとその場でアクションをとってくださいました。その後は、「昼飯食いにいこう」と中華料理屋でおしゃべりに花が咲いて、最後に「研究頑張れよ!」と励ましてくださり、颯爽と連盟に帰っていかれました。おかげ様で、各道場の先生方のご協力も得られて、9人もの選手にインタビューすることが出来ました。この先生からは、お会いするといつもエネルギー、情熱、そして誠意を感じます。

年齢、肩書き、立場、こういったものが、どう違っても、人のために動ける人間、人に誠意が伝えられる人間でいたいものです。そして、いくつになっても、情熱を持った人間でいたいものです。このお2人はタイプは違いますが、自分の身近に「こういう人になりたいもんだな」と思える人物がいるというのは、とても幸せなことだと思います。自分はまだまだ自分のことで精一杯な人間ですが、こういう方に接することで、自分の行動も変わっていけばいいなと思っています。

Friday, June 27, 2008

文化を考える

アメリカ生活をしていると、cultureという単語をよく耳にする。遠い島国日本からやって来た自分たちは、ここでは少数派のマイノリティであり、多くのアメリカ人にとってわからないことだらけの人間なのかもしれない。ただ、自分個人の経験から言わせてもらうと、この5年間のアメリカ生活で、今まで自分が日本で体験したこととあまりにも違うのでびっくりしたという経験より、「何だ、アメリカでも同じじゃん」という経験の方が多かったように思う。 もちろん、生活習慣の違いはあるけど、この「人間、本質的にはたいしてみんな変わらない」ということは、自分の中での1つの発見である。

ということで、文化について少し思うがままに。

多くの人にとって文化と聞いて、真っ先に思い浮かべるのは人種や国籍だと思う。確かに、わかりやすい。見た目から、書類上から、一目瞭然。ところが、それらは文化を構成する一部に過ぎない。例えば、自分の場合、少なくとも自覚しているアイデンティティを挙げてみると、日本人、スポーツ心理学の大学院生、父親、夫、元大学野球選手、剣道初心者、などなど。アイデンティティを構成するそれぞれのカテゴリーにはそれぞれの世界や習慣があるわけで、それは一種の文化を築いていると言える。例えば、日本人コミュニティには、日本人コミュニティの文化があり、野球に携わっていた人間には、それ独特の文化がある。こうして、一人の人間が、自分が持つ複数のアイデンティティに基づく、いくつかの文化から影響を受けて、1人の人間として考え方や行動に影響を受けているといえる。

さて、アメリカに来て以来、たくさんの人間と接して来たけれど、国籍や人種という文化的カテゴリーは違うけれども、先ほど自分のアイデンティティとして挙げたカテゴリーを共にする人との時間が多かった。大学院では、同じ専攻の学生に会う機会がたくさんあり、娘の幼稚園に行けば、子ども達の親がたくさんいる。その中で、大学の教授などいようものなら、その人と自分の間には、「親」と「大学関係者」という最低2つの文化を共有することになる。そこで、お互いの共通する話題がちらほら出てくるわけである。例えば、「親」としての話題は、たわいもない子供の話であるし、「大学関係者」としては、授業の話やら、学会の話やら。そうなると、お互い、同じような体験やら、ストレスを抱え込んでいることがわかり、そこで、国籍や人種で分け隔てられている2人の距離が何となく縮まるような感覚になる。特に、お互い同じような苦労に直面しながら頑張っていることや、同じような達成感を味わったことが分かり合えた場合、距離は格段に縮まるように思える。つまり、人間は誰かと何かを共有したり、つながっていたり、共感したりすることを求めているんだと思う。

思うに、異文化コミュニケーションという言葉を耳にすることはあるが、この場合の文化って何を指しているんだろう?単に国籍や人種が違う人間同士ってことなのか、何一つ共通点のない、共感するものがない人間同士のコミュニケーションってことだろうか?もし前者だとしたら、人間は見た目や住んでいる地域が違う人間の中から、共通点や共感し得るものを見つけることを期待しているのではないかと思う。それは、何もおおげさなことではなくて、例えば「お寿司っておいしいよね」とかそういう類いのものでも食文化という意味で文化的な共通点。これは、大いに楽しめると思う。一方で、後者というのは、実際体験してみたらかなりしんどいのではないかと、個人的には思う。

異文化間の交流ってのは、相互理解が不可欠になるわけで、お互いの文化を知ることというのは、とても大切である。人種や国籍を超えて相手を理解するというのは、時として簡単ではないけれど、その人個人が持つ「文化」というものに目を向けてみれば、もう少しとっつきやすいように思える。以前にも書いたことがあるかもしれないけど、日本で野球をやっていた体験というのは、アメリカでの人間関係において、どれだけ役に立ったかわからない。幼稚園に通っている子供の親を通じて出来た人間関係も多々ある。そうした、日常のちょっとしたところから、相互理解って始まるもんだし、人種や国籍、生活習慣の違いにばかり目を向けてばかりいるよりも(それを尊重することは当然大切なこととして)、人間、つながっていたい生き物なんだと考えてみたらどうだろうと思う。


自分がスポーツ心理学で、今、興味があることは剣道をはじめとした武道の世界のメンタルアプローチを調べることである。言うまでもなく、武道の歴史はスポーツ心理学のそれよりはるかに長いわけで、しかも先人たちが長年かけて、心技体のつながりというものを追求してきた分野である。その武道の世界におけるメンタルのアプローチを調べる目的は、単に日本文化と西洋文化の違いに注目して、それを発表することではない。自分の技を磨くことや、それを試合で発揮する上でのメンタルの課題、それを克服するためのアプローチというのは、根幹的に目指している部分では、西洋と東洋、古代と現代、共通点は多いと思う。つまり、その先に目指すものは同じだけど、ちょっとしたアプローチや考え方の違いというのが見られるかもしれない。その中で、将来的には、競技に携わる人間が「これは東洋」「これは西洋」などというカテゴリーに縛られることなく、自分のパフォーマンスを向上させる手段として、武道で行なわれてきたアプローチが、選択肢の一つになればいいな、と思う。実際、もし日本以外の国のアスリートたちが、武道で行なわれているメンタルアプローチを取り入れたりしていたら、それは面白いことだと思う。

異なる文化の間における違いを調べること、つながりを見つけること。そして、それを個々の人間にどう応用できるかを考えてみること。それがスポーツ心理学における文化的研究の面白さだと思う。

Sunday, June 22, 2008

24

説明するまでもなく、1日24時間。世界中、どんな人間にも、これだけは平等に与えられてるもの、それがこの数字。人間の寿命なんてまちまちだけど、まさか今日明日自分の人生が終わると思って生活している人は、稀だと思います。明日も生きているなんて保証は何もないのに、たとえ今日1日を無駄に使っても、ホントに後悔する人なんてわずかでしょう。

この24時間をどう有効に使うかというのは、物事を成し遂げる上で、とてもとても大切なことだと思います。いわゆるタイムマネジメント能力。10分あれば、実は教科書を1ページ読めるかもしれない。10分あれば、バットを30回振れるかもしれない。それこそ授業の課題をやっていた時なんて、何月何日の何時という提出期限ぎりぎりにメールでレポートを送ったりしたこともあったので「10分」がいかに大切かってことは身にしみているはず。でも、喉もと過ぎれば、あの時の冷や汗もまた忘れてしまう。

人間、年を重ねていけば、1つのことだけをやっていればいい、という人はとても稀でしょう。仕事、家庭、趣味などなど。仕事1つとっても、会議、資料作り、メール、電話応対などなどやることは多岐に渡っていることでしょう。アスリートもしかりです。プロにもなれば、それこそトレーニングや試合だけやっていればいいってことにはなりません。メディアへの対応から、ファンサービス、チャリティーに参加したり、家族との時間も必要でしょう。有名になれば人が集まってくるので、つきあいも増えるでしょう。その中で、トレーニングに時間を割き、コンディショニングを調え、万全の状態で試合に臨まなければいけません。試合で結果が出せなくて「あ、先週忙しかったので」なんて口が裂けても言えません。

忙しい。。。確かにそうかも。でも、いつ忙しくなくなるの?忙しくさえなければ出来たの?本当に1分1秒、無駄なく使った挙げ句に時間がなかったの?忙しいって言うのは簡単だけど、ほんの少しの心掛けを考えてみたらどうだろう。「10分あれば何が出来るか?」って考えてみたらいいと思う。朝起きて、今日すべきことをリストアップしてみて、夜寝る前にそれをどれだけやれたか、確認してみる。自分の場合は、たいてい何かやり残してる。自分のことは分かってるから、なるべく壮大な計画は練らないようにしてるのに、やっぱり何かをやり残してる。1日でどれだけベストを尽くせたかって振り返ってみたら、恥ずかしながらベストを尽くせた日なんてなかなかない。

今、自分は博士論文に向けての、レポートに取り組んでます。期限もなければ、量も決まってないレポートで、4人の担当の教授とそれぞれトピックを決めて、こちらがレポートを提出。教授がOKを出してくれたら、そこで終了。決まっているのは、来年の5月までに博士論文本体を終わらせて、無事卒業するということだけ。それすら、遅れたって教授は誰1人困るわけではなくて、全て自分に降り掛かるだけ。「来年の5月までに」というところに、いかに自分でリアリティを持てて、日々の仕事の分量を割りあてて、1日1日を過ごしていくか、という戦いは、日々授業があって、いついつまでにレポートを提出して、いついつにテストがあってという学期中との戦いとはまた別のところで、壁がたちはだかっています。まさに自分との戦い。大学院生活の最後にさしかかって来たところで、自分にとっては、これからプロフェッショナルとして、持っておかねばならない資質を試されているような気がする今日このごろ。人間、一生懸命生きてれば、適切なタイミングで適切な試練が訪れるもんだと思う。いや、その時は適切なタイミングとも試練とも気がつかないことが多いけど、今回は、すでにひしひしと感じてる。


自分の才能や、周りの環境にケチをつける前に、自分自身に聞いてみるべき。

「今日、24時間、ベストを尽くせたか?」

誰にでも平等に与えられているこの24時間を目一杯活用してみること。
それが成功への第一歩。

さて、頑張るとするか。

Wednesday, June 18, 2008

あなたは誰ですか?

突然ですが、今すぐここで自己紹介を出来ますか?
あなたのことを何も知らない人を前に、自分のことを、簡潔に、それでいて、その人が後になってあなたのことを思い出せるような、そんな自己紹介を出来ますか?

アメリカに来て以来、自己紹介をする機会が結構ありました。当然ですが、自分のことを何も知らない人を前に、自己紹介をすると、相手からも「今、アメリカで何をやってるのか?」「何でアメリカに来たのか?」「将来何をしたいのか?」などと聞かれます。冒頭でエラそうに、みなさんに問いかけてみましたが、自分自身、これまで抜群の自己紹介が出来たのかと聞かれたら、自信はありません。でも、日本でいう一期一会ではありませんが、もう今後二度と会わないかも知れない、目の前の人に、自分はどんな印象を与えられただろうか、などと考えてみたりします。少々、大げさかもしれませんが、目の前にいる人にとって、自分はその人の人生で最初の日本人かも知れない。だとしたら、日本人として少しでもいい印象を与えたいな、などと考えたりもします。

元々、なぜそんなことを考えはじめたのか、というと、自己紹介がてら「自分はスポーツ心理学を勉強しています」というと、スポーツ好きが多いお国柄からか「へー、それって面白そうね。どんな分野なの?」と聞かれることが多々ありました。ホントに何回も。返答として、話そうと思えば、あーだこーだいろいろ話せますが、当然ながら、目の前にいる人は、ちょっと興味本位で聞いてみただけで、何もここで10分も20分も話してほしいわけではないでしょう。そうなると、ほんの二言三言で、『スポーツ心理学」を説明する必要があるわけです。さらに、目の前の人に理解してもらわなければいけないわけなので、聞き手に合わせてどんな言葉を織り込むかということを考える必要があります。

これまで、数々の失敗を繰り返してきました。失敗と言っても、相手から「何言ってるかわかんねーよ」って言われたわけではありませんが、会話の後に自己嫌悪に陥ったわけです。フロリダにメジャーリーグのキャンプに行ったときは、会話をしていた隣の親子連れの小学生の子供に「スポーツ心理学って何?」って聞かれました。もう、何て答えたかも覚えていませんが、自己嫌悪に陥りました。。。たぶん、あの子供はいまだにスポーツ心理学が何だかよくわかっていないでしょう。今年の春先には、マイナーリーガーに「メンタルで必要なことって何?」って唐突に聞かれて、答えに詰まってしまいました。プロアスリートを前に、しかも自分の好きな野球をやっている人間を前にして、うまく答えられなかったこのときは、相当凹みました。しかし、その道のプロを目指す人間として、特に万人が一目で分かるような職業(歌手とか)に就くわけではない自分にとって、自分の職業や研究内容について、いついかなるときでも、どんな相手にでも、わかりやすく印象に残るような回答を出来るように、日頃から準備をしておきたいものです。こんなことを、友達の研究者ともよく話をしています。彼とも、どんな相手にも自分の研究内容を聞き手の目線で簡潔に話せるようになろう、と。それがプロだと。

人との出会いは、常に突然やってきます。上の例とはちょっと違いますが、以前にこんなことがありました。カフェで家族で昼ご飯を食べていたところ、突然初老の夫婦に話しかけられました。例によって、自己紹介をしたところ、男性の方がスポーツ心理学に食いついてきて、何やら話をしてくれました。ところが、こちらの英語力不足もあって、彼が言っていることがよくわからなかったのです。しばらくして、ご婦人のほうが会話に入って来て、どうやら、このご夫婦の義理の息子(娘さんの夫)がある大学でスポーツ心理学の教授をしているとのことでした。ようやく、話が分かった自分は、やっとその教授の名前を聞き出し、こちらも自分の名刺を渡して、何とか話がつながりましたが、自分としては、最初の男性の話で、食いつけなかったことにとても悔いが残りました。後日、この教授に、挨拶がてらこの日の出来事をメールしましたが、自分がしっかりリアクションをしていれば、あのご夫婦ともっと会話が盛り上がっただろうに、と思うと残念です。

かと思えば、こんなこともありました。去年、家族でシアトルに行ったときのことです。マリナーズのグッズショップをぶらついていたところ、店員と話す機会がありました。いろいろ話していくうちに、彼も大学野球の経験者だということがわかり、さらに何人か共通に知り合いもいたことから、話がはずみ、連絡先も交換するまでに盛り上がりました。数ヶ月後、今度は自分の大学野球部の後輩が、偶然にも彼に会う機会があり、自分の話になったそうです。そこで、後輩は、その店員さんから自分のメールアドレスをもらって、自分にメールをくれたわけです。おかげで、この後輩ははるばるテネシーまで来てくれて、何年振りかの再会を果たすことが出来ました。

以前勤めていた会社の先輩が「居酒屋で隣に座っているヤツはチャンスだと思え」と言ってました。ただの赤の他人かも知れないけど、どこでどうチャンスが巡ってくるかわからない、ということです。まあ、そんな肩肘張った状況じゃないにしても、自分のことを相手に話す、というこのシンプルな行動から、会話が盛り上がったり、人間関係の輪が広がったりする可能性があるかと思うと、初対面の人との会話をぜひとも上手にこなしたいものです。

Saturday, June 14, 2008

伝統を守るべきか、変化を受け入れるべきか?

引き続いて剣道について。

現在、剣道界が抱えている問題の1つに「剣道のスポーツ化」というのがあります。意外に思われる人もいるかもしれませんが、剣道をやっている方は「剣道は武道であってスポーツではない」という強い思いを持っています。去年の冬、日本で全日本剣道連盟に足を運ぶ機会があったのですが、そこでお会いした先生も、「剣道は心です。剣道は武道であって、勝ち負けだけを競うスポーツではない」ということを強調されていました。ウチの道場の先生方も、そこは常に強調しています。「ストリートファイトのように打ち合うだけのものは剣道ではない」と。一方で、剣道を世界に広めたいという思いからか、オリンピック競技などに普及させたいと思っている方々もいるようです。

「剣道のスポーツ化」を恐れている人の多くは、柔道が直面している事態に陥ることを危惧しています。ご存知の通り、柔道は今や世界に広まっていて、オリンピックでも人気の競技です。ところが、反面、日本古来の柔道の姿というのは影を潜めて来ています。例えば、スポーツの流れで避けられないのは、「試合における勝負の明確化」です。現に柔道は、勝ち負けの判断を簡素化するためにポイント制が導入されています。技が完全に決まらなくても、ある程度決まれば技ありなり、有効なり、効果なりというポイントになり、試合が終わった時点でポイントが多い方が勝てることになります。そうすると、どういうことが起きるかというと、本来の技の形が、ポイントを取るために崩れて来たり、先にポイントを取った方が、防御一辺倒になったり、と柔道本来の、堂々と組み合って技をかける、という理念が崩れてくることになります。また、「魅せる」というのもスポーツの特徴のひとつでしょう。柔道のカラー道着の導入なども、見ている側を考えての変化かもしれません。

柔道は、いまや日本のものだけではなくなっています。もちろん、それは喜ぶべきことです。しかし、競技としての柔道の存在が大きくなればなるほど、日本人が柔道と向き合って来た心の部分、柔道の理念というのは、世界で柔道に取り組んでいる人の間で、完全には忘れ去られないかもしれませんが、徐々に薄まってしまう可能性はあるのかもしれません。日本の柔道関係者の「勝ちたい」でも「柔道誕生の国として、本来の柔道を貫きたい」という葛藤は、想像を絶するところだと思います。

そういえば、日本に帰国している時に、興味深い新聞記事を目にしました。世界で大活躍しているご存知、谷亮子選手についての記事でした。記事の中で、世界で勝ち続けるための秘訣について、彼女自身、「世界で勝つための柔道をすること。日本の選手の中には、『本来』の柔道に固執するあまり、世界で苦戦している選手がいる」とのことでした。これには「なるほど!」と思ったのと同時に、葛藤はなかったのだろうか?とも思いました。しかし、彼女が「世界で勝つ」ことを目標として、全てをその目標達成のために決断し、対応させたことに彼女の強さがあるのかもしれません。

伝統を守るために本来の理念を追求するのも1つの道であり、世界の流れに乗って勝負に徹するというのも1つの決断です。伝統を守りたい全日本剣道連盟の方々が、剣道本来の理念を守るべく行っていることの1つは、審判の育成だそうです。つまり、理想の一本というものを、まず審判が理解していて、その基準に満たない技を審判が取らなければ、選手は自ずと理想の一本に向けて技を磨かざるをえないということです。この教育的アプローチというのは、地道で時間を要することですが、とても大切なことだと思います。つまり、「伝統を守る」、「スポーツ化を防ぐ」といったスローガンを声高に叫ぶだけではなく、具体的にアクションを起こす。まずは、本物の理想的な技を見抜く目を審判に養わせる。そして、各選手が理想の技を身につけるべく、日々の稽古に励む。窮屈に聞こえるかもしれませんが、スポーツであれば、プロフェッショナルから、レクレーションまで、様々なスタンスがあっていいと思いますが、全日本剣道連盟は「剣道はスポーツではない」というスタンスを取っているのですから、「伝統」や「理念」を守るというスタンスを最優先させることは筋が通っていると思います。ただ、初心者の自分が言うのもなんですが、日本における剣道ですら、長い時間をかけて、変化を経て、現在の形になったはずです。「伝統」や「理念」を守るという地道な姿勢を保ちつつ、必要であれば変化を厭わないという形が理想ではないかと思います。

最後に、先日お会いしたM先生が、稽古の後に飲んでいる時に、こうおっしゃってました。「私は、何も多くの人に剣道をやってもらわなくてもいいと思ってるんですよ。本当に剣道を理解して、賛同してくれる人だけがやってくれたらいいと思っています。」このセリフに魅力を感じた自分も、よくも悪くも伝統を重んじる保守的な日本人根性の持ち主なのでしょうか?

Thursday, June 12, 2008

教わることのありがたさ

剣道をやってます。
始めたのは2年くらい前なんだけど、授業がある学期中には思ったように稽古に行けなくて、いまだに初心者のレベルなんだけど。。。

メンバーは韓国人の先生、日本人の先生に、米、韓、日と若いの古いの、♂、♀といろいろいます。メンバー達は純粋に剣道がうまくなりたいと情熱を持っている人たちばかりで、この日本の伝統文化を本当によく理解していて、リスペクトしています。例えば、「先生」「はい」「よろしくお願いします」「ありがとうございました」という日本語は常に使われています。言葉だけではなく、先生を敬う姿勢、仲間を思いやる態度という今では古いと言われかねない日本の大切な精神文化も、このメンバーの中では見られます。

以前、スポーツ心理学の授業で、剣道の稽古についてレポートを書いたことがあったんだけど、剣道の稽古での一番の特徴は、先生自ら稽古に参加しているということです。防具を着けて、基本の打ち合いの時から、生徒が2人1組になって打ち合う地稽古という稽古の時でも、先生はちゃんと生徒の1人と打ち合います。これは、いわゆるスポーツにおけるコーチとは少し違う点だと思います。もちろんフットボールやバスケットボールで選手と混じって練習するのは容易ではないので、単純に比較は出来ませんが。

実際、自分のような初心者にでも先生は、文字通り「胸を貸して」くれるがごとく、稽古をつけてくれます。基本打ちの型を見てくれたり、地稽古では、先生自ら容赦なく打ってくれることもあります。そして、あえて「打ち間」といって、「この距離、このタイミング」で打つんだよ、というところで、わざと隙を作ってくれることもあります。こうして、実際向き合って先生が自ら教えてくれるということは、本当にありがたいことですし、重みがあります。

先日、もともとこの道場で長い間教えていただいていたM先生が、現在お住まいのフロリダからわざわざ道場を訪ねて来てくれました。先生は、ちゃんとご自分の防具と竹刀を持って来て、我々生徒に稽古をつけてくれました。こうしてまた一緒に剣を交えるというのが、先生にとっても、生徒にとっても再会の喜びを表す一番の手段なのでしょうし、こうした先生の思いというのが、我々生徒にとっても嬉しいものなのです。去年、ある授業の課題で、道場のアメリカ人の同僚2人にインタビューをしたことがありました。日頃から本当に一生懸命剣道に取り組んでいる2人の発言は、立派な日本人の心を持っているように感じ、逆にこちらが心を洗われるような思いになったものです。インタビューの中で、2人は口を揃えて「M先生に教わった剣道を実践しているだけです」と言っていました。そう言い切る2人の表情には、自信と誇りを感じたものです。

そのうちの1人が、初めて大会に出たときのことを話してくれました。初めての大会で、彼は相手に全く歯が立たずに負けてしまったそうです。 しかし、彼の中では、日頃からM先生や、韓国人のH先生から「試合に勝つためだけの剣道なんてやらなくていい。正しい剣道を追求しなさい」と言われてたので、その試合では勝てなかったけど、教わったことをそのまま実践した、という自負があったそうです。時を経た今、彼は相手にそう簡単に崩されることのない、本物の剣道が身についているという実感があるそうです。

こうして、稽古を通じて、生徒は技を教わり、心を教わり、自分の剣道を築き上げていくわけです。そうして、先生から教わったことを、今度は自分のような初心者に、教えてくれます。時間を掛けて技と心を身につけた彼らの態度からは自信と誇りが伝わってくるし、そういう彼らの視線を見ているとこちらは「これが、剣道で目指すべきところなのか」という気持ちになるものです。こうして、同じ理念や目標を共有しているという思いが、世代や国籍を越えてメンバーの間に敬意や思いやりが芽生えてくるのでしょう。

30歳半ば。人生まだまだわからないことはたくさんあり、学ぶことはいくらでもある年齢だとは思いますが、最近、腰を据えて物事を教わるという機会がどんどん減っているように思います。本を読んで知識を得たり、授業を受けて学ぶことはあっても、面と向かって体をつきあわせて、共に汗を流して「教わる」というこの道場での体験は、人々の思いをひしひしと感じとれる、ありがたいひとときであり、他ではなかなか得られないものです。

まあ、とりあえず自分の当面の課題は、うだうだ言ってないで、きっちり稽古をし続けることですが。。。

Tuesday, June 10, 2008

トーストマスターズクラブ

クラブ活動をしてます。

トーストマスターズクラブという、スピーチやコミュニケーション能力、リーダーシップを学ぶクラブに入ってます。詳しく覚えてないんだけど、イリノイに住んでいた時に、英語力を伸ばそうと思って始めたんだと思います。テネシーに移って来て、しばらく遠ざかってましたが、今年の冬あたりからまた再開しました。ちなみに日本にもあるようです(http://www.tokyointernational.org/xoops_jp/)。

このクラブでは通常、週1回ミーティングがあって、メンバーで手分けして役割を分担します。Toastmaster(司会)、Speaker、Evaluator、Table Topic Master、タイムキーパーなどがいます。Toastmasterは、単なる進行に留まらず、その時々の旬なトピックやら、スピーチの内容にちなんだエピソードなどを交えて、参加者が楽しめるような進行を心掛けなければいけません。

スピーチは、通常、1回のミーティングで1−2人(立候補)が準備をして来て行います。クラブで配られた冊子に1つ1つレベルが設定されてて、そのレベルごとに課題とちょっとしたアドバイスが与えられています。例えば、一番最初のスピーチは「自己紹介をしてみましょう」でした。その次は「自分の好きなトピックについて、聞き手がわかりやすいように上手にまとめて話してみましょう」でした。ボディランゲージをうまく使おうとか、ビジュアル機器を使いましょうとか、レベルが上がっていくことに課題もレベルアップしていくようです。課題ごとに5−7分とか8−10分と、時間も設定されていて、限られた時間内でうまくスピーチをまとめることが要求されます。

スピーチが終わると今度はTable Topicというものがあります。これはTable Topic Masterが、前へ出て、あらかじめ用意して来たトピックを出席者に順番に出題します。出席者はその場でトピックに合ったスピーチを1分くらいでやらなければいけません。例えば「ボブ、君は最近のガソリン価格の高騰についてどう思う?」と言ったものから「ナンシー、君がブログを始めるとしたら、どんな内容を書くつもり?」と言ったものまで何でもありです。とにかく即興で、手短にかつ聞き手を楽しませるようなスピーチをやるのが、このTable Topicの主旨です。

スピーチは全てEvaluatorに評価されて、Evaluatorは前に立って2−3分の中で、簡潔にかつ充分な評価内容を発表しなければいけません。「何がよかったか」、「ここをこうすればもっとよくなった」などなどを自分の視点で評価して、スピーチをした人に伝えます。

次に、タイムキーパーから、スピーチ、Table Topicのスピーチ、Evaluatiorの発表、それぞれにかかった時間が発表されます。これによって、スピーチが目標時間内に終えられたかを把握することが出来ます。さらに、全てのスピーチの途中で発せられた「Umm」、「Ah〜」、「You know」など聞き手の注意をそぐと思われるような単語やフレーズも数えられていて、これも最後に発表されます。

こうやって書くと、みんなピリピリしたムードで目を光らせて他人のミスをチェックしているような雰囲気なのかと思うかもしれませんが、そんなことはありません。イリノイにいる時は、メンバーは学生や教授が主体で、ネイティブスピーカーとはいえ、スピーチもどこかおぼつかなくて、みんなで学ぼうという雰囲気がありました。ここテネシーはビジネス関係の人が多くて、みんなすでにスピーチも司会も上手にこなしていると思うのですが、みんな熱心に取り組んでいます。雰囲気も、イリノイの時より、みんな気さくでリラックスした雰囲気を作ってくれています。

とはいえ、始めた頃はかなりのプレッシャーでした。スピーチは自分が前もって立候補していなければしゃべる必要がないので、立候補しない限りは黙っておけばいいのですが、Table Topicは原則、出席者は全員参加です。これが苦痛で苦痛で、何を聞かれるかわからないし、その場で即興でスピーチしろ、なんて日本語だって難しいものです。でも、場数を踏んで面の皮が厚くなって来たのか、開き直れて来たのか、最近は少しずつ慣れてきました。それでも、まだまだ課題はあります。テネシーで再開してからしばらく経ちますが、いまだに、1時間のミーティングを仕切るToastmasterや、スピーチを聴いたそばから評価をまとめて発表しなければいけないEvaluatorをやったことがありません。Toastmasterをやるには機転とそれを表現できるだけの英語のボキャも必要だし、Evaluatorは他人のスピーチを正確に理解して、2−3分内で評価をするようにまとめて、発表しなければいけません。リスニングに自信のない自分としては、万が一スピーチの内容がちんぷんかんだったことを考えると、ちょっと荷が重いです。

ということで、あたたかいメンバーに囲まれて、適度な緊張感の中、うまくいけば達成感、しくじると絶望感を味わえるなかなかスリリングな英語学習です。

Friday, May 30, 2008

Quality of Practice バッティング続編

Quality of Practice第三弾

今まで、いろいろと日々の練習にメンタルトレーニングを取り入れる方法を紹介してきましたが、今回はその続編。日頃、一生懸命練習している野球少年たちですが、彼らもまだ中学生、高校生。ということで、少し、遊び感覚を取り入れつつ、実践への応用も学べるという練習を取り入れています。

バッティング練習を2−3セットした後に、試合形式のバッティングを必ず取り入れます。先週の日曜日は、2人に最終回、ノーアウト満塁、得点は3点ビハインド、つまり3点取らなければ負けるという場面。2人が交互に打席に入って、3打席ずつ立てるというルール。つまり、6打席で目標3点という状況を設定。

最初は、
「え〜、無理です」
という反応。
「何でだよ、ノーアウト満塁だよ。で、6打席で3点だぜ」
と返す。
「でも、ゲッツーとかあるから。。。」
とどこまでもネガティブな発想。
「何てネガティブな!最終回にノーアウト満塁って言ったら、追いつめられてるのは相手だぞ。こっちはイケイケで、点とるだけじゃないか!!」
と一蹴。

試合形式のバッティングをすると、彼らの顔つきが全然違う。それまでの練習と同じ距離から、同じ速さのボールを投げても、かかるプレッシャーが違う。これこそ、この練習の目的。つまり、

  • 自分の精神状態はどうだったか?
  • 準備(routine)はしっかり出来たか?
  • 結果は?
  • 成功したとしたら、何がよかったのか?
  • 成功しなかったとしたら、なぜか?何が次回への課題か?
こういったことが、この試合形式の練習で学ぶことが出来ます。

こういった練習では、その場の打った、打たないで一喜一憂するのは、もちろんいいことなんだけど、しっかりプロセスの分析、次回への課題設定を行うことが大切です。

結局、この日は、1打席目でY君がレフト前ヒットを打ち、一気に勢いがついて、T君もヒットで続き、あっという間に2点。2打席目も2人でヒットが1本出て、あっさり目標達成。3打席目は、こちらも「そうは簡単に打たせるか」とちょっとムキになって、しっかり抑えました 笑

3打席、終えたところで、恒例のミーティング。何せ3人だけの練習なので、必ず1つの練習が終わったら彼らの感覚や、感想を逐一確認するようにしています。ちょこっと彼らも口頭で感想を述べましたが、今回は、この3打席の間の細かい心理状態を来週までに書いてくるように、と宿題を出しました。彼らがどんなこと書いてくるのか、こちらも楽しみですが、想像するに、最終回、3点差で負けていて、ノーアウト満塁。最初は緊張していた彼らも、点差が詰まるにつれて、「イケるんじゃないか」となったと思われます。で、最後はこちらが本気になったのを見て、「こりゃ、ヤバい」とまたネガティブになってしまった。人間の心理の何て面白いことか。「ノーアウト満塁での打席」という状況は変わらないのに、1点、また1点と、点差が縮んできたことで、心理状態はポジティブに変わり、同点までこぎつけて、状況としては押せ押せなのに、相手投手が本気になってのを見て、また不安が襲う。短期間の間に、ちょっとしたことで、これだけ人間の心理というのは変化するものなんですね。

来週、彼らの持ってくる宿題を見て、ミーティングをして、また練習を組み立てようと思います。

Thursday, May 29, 2008

Quality of Practice バッティング編

さて、前回に続いてQuality of Practiceの話で、今回はバッティング練習編です。ここでもキーワードは準備です。

試合の状況を想定してバッティング練習を行うわけですが、実際、試合でボールを打つまでのプロセスを思いおこしてみます。ベンチから、ネクストバッターズサークルに向かいます。ストレッチをしたり、バットを振ったりして、体を温めて、前の打者に続いて、バッターボックスに入るわけです。中にはピッチャーを観察してタイミングをとっている選手もいるでしょう。

ピッチャーが18m先から140キロの球を投げた場合、ボールがピッチャーの手を離れてから、ホームベースに届くまでに要する時間は、わずかコンマ数秒。つまり、一旦、ピッチャーが振りかぶったらバッターには考える時間などありません。そんな一瞬の勝負を迎えて、バッターが出来る準備とはどんなことでしょうか?自分がこれから対戦するピッチャーがどんなピッチャーで、どんな球を投げて、自分はどのように打つのか。つまり、これから対戦するピッチャーのことをより理解していて、自分がどのように対応するかをなるべく鮮明にシミュレーション出来ている、というのが、試合で打席に入る際に望ましい準備と言えるでしょう。

実際、打席に入ってから、ピッチャーの球を目にして、タイミングを計って、という選手もいるかもしれませんが、打席を振り返ってみたら、見送った初球が唯一甘い球だったなんてことも充分にありえます。何より、初球というのはピッチャーも手探りだったりするわけで、バッターにとってはピッチャーを攻略するチャンスでもあります。なので、バッターとしては初球からベストスイングが出来るだけの準備をしておくのが望ましいでしょう。

さて、ネクストバッターズサークルでの時間を少しでも有意義にするためには、体を温めるだけというのでは、もったいなさすぎます。ネクストでは、これから対戦するピッチャーを観察するのに絶好の機会。まずピッチャーのモーション、球筋(ストレート、変化球ともに)を観察し、出来る限り鮮明にイメージします。出来る限りというのは、実際、打席で自分が目にするアングルで、18m先にピッチャーの姿を思い浮かべて、ピッチャーがモーションを開始して、白いボールが自分に向かってくるところまでイメージするということです。

次に、自分がピッチャーのモーションに合わせて、タイミングをとって、バットを振り出して、実際に、ジャストミートするというところまで、しっかりイメージしてみます。それが、まさしく、自分が数分後に打席で行いたいパフォーンマンスになるわけです。ストレートには、どういうタイミングでバットを出して、カーブやスライダーにはどのように反応するのか。相手投手については、すでにビデオで研究済みかもしれませんし、以前に対戦したことがあってだいたいわかっているかもしれません。しかし、ここで、今一度自分の頭の中で、自分が今まさにこのピッチャーから打つために、より鮮明なイメージを頭の中で思い浮かべてみるわけです。それが、コンマ数秒の間に行われるパフォーマンスを成功させる可能性を高めてくれるわけです。

さて、ここでの野球教室でも、毎回このプロセスをルーティン(routine)として行っています。バッティング練習で投げてるのはいつも自分ですが、その日によって調子が違うので、球筋も違うかもしれません。彼らも、その日によって調子が違うので、ボールの見え方などが変わってくるかもしれません。何よりも、常にパフォーマンスを行うためのメンタル的な準備として、毎回このルーティン(routine)を行っています。こうして、毎回毎回バッティング練習のたびに、これらの準備を行うことで、それが試合で自然と毎打席行う習慣になればしめたものです。相手が誰であれ、どんな状況であれ、自分が今ここでするべき準備というのは変わらないのです。自分なりのチェック項目をこのルーティン(routine)に組み込むことで、自分が今ここでやるべきことを認識出来ますし、ルーティン(routine)に没頭することで、集中力も高まります。こうして、ルーティン(routine)によって準備を一定させることで、パフォーマンスを安定させる可能性を高めることが出来るわけです。

こうして、前回と同じく、メンタルトレーニングを練習の現場に持ち込んで、繰り返し練習し、試合で実行する、という図式をつくることが出来ます。それが、まさに試合のための練習と呼べるものです。もし、試合でこのプロセスがうまく出来なかったら、また練習から始めればいいわけです。常に試合に向けての練習をし、試合は練習の成果を試す機会と捉え、試合で出来なかったことをまた練習に持ち帰って修正する、という試合と練習のいい相互関係を築くことが出来ます。

さて、次回はちょっと遊びを取り入れたバッティング練習を紹介します。

Tuesday, May 27, 2008

Quality of Practice

さて、早速更新。

ここテネシーでは大学院で勉強している傍ら、毎週日曜日、隣町の日本人の野球少年たちの練習を手伝いに行っています。現地の学校に通う高校1年生(こちらでいう9年生)と中学1年生(同じく7年生)で2人とも毎週日曜日に熱心に自主練をしているので、何とか彼がうまくなれたらいいなと思って、練習の手伝いをさせてもらってます。

さて自分の役目はというと、野球の技術を教えてあげるのはもちろんだけど、自分の専門でもあるスポーツ心理学の要素をさりげなく、練習メニューに組み込んでいます。メンタルトレーニングというと、何やら、椅子に座って目をつぶってイメージトレーニングをやったりとか、寝転がってリラクセーションをしたりというイメージがあるかもしれませんが、アスリートにとって、一番の関心事はパフォーマンスを向上させること試合で練習の成果を発揮させること。そのためには、何が大切かというと、当たり前の話ですが、日々の練習に他ならないわけです。充分な練習時間を確保するのはもちろんのこと、練習の質(Quality of Practice)にこだわることが大切です。そして、試合には「自分はこれだけやったから大丈夫」と自信を持って臨めることが、試合において望ましい精神状態と言えるわけです。高校生くらいになればどの選手も、毎日練習をしてます。でも、試合においてどこで差が出るかというのは、毎日の練習の仕方で、差が出てくるわけです。

ちなみに、先週の日曜日に彼らが行った練習内容です。

  • キャッチボール
  • ノック(守備練習)
  • バッティング練習
    • 5mくらいから軽くトスしたボールを打つ練習
    • マウンドから投げたボールを打つ練習
    • 試合形式


まあ、どこの野球選手もやる一般的な練習ですが、ここでは少しこれらも工夫しています。例えばキャッチボールの後半では、タッチの練習をします。普通キャッチボールでは、相手の胸に投げろと教わりますが、それは試合では常に当てはまるわけではありません。タッチプレーでは、より相手がタッチしやすい位置、つまり相手の膝の高さあたりに投げるのがベストなわけです。ボールを受ける方は、半身になって、ボールを捕ってそのままグラブを下に落としたら、ちょうどランナーがベースにスライディングしてくる位置でボールを捕るようにします。手を伸ばして捕ったら、タッチのために手を動かさなきゃいけない分、時間のロスになります。このほんのコンマ数秒にこだわることもQuality of Practiceの向上になるわけです。

ノックも一通り、基本プレーをした後は、試合の場面を設定します。最終回、同点でワンアウト満塁、または、ランナー三塁。ホームベースでタッチプレーかフォースプレーかという、どちらにしても、野手としては自分のプレーで試合が決まってしまうという最もプレッシャーがかかる場面です。ゴロを捕ってキャッチャーの正面に投げれば、もちろん合格点。でも、よりよいプレーを目指すのであれば、タッチプレーの時には、先ほどのタッチの練習の時のように、キャッチャーの左の膝元に、そして、フォースプレーであれば、ホーム→一塁のダブルプレーが狙えるのであれば、キャッチャーが捕った後、一塁に投げやすいように、キャッチャーの胸に。ホームでアウトを一個捕るだけであれば、キャッチャーが一番体を伸ばして捕れる位置である、ベルト付近に投げるのがベストです。

実際の試合でプレッシャーがかかるこのような場面で、一瞬のプレーを成功させるためには、それ相応の練習が必要です。まず、この練習では、

(1)しっかり状況を把握すること
  • この場面、どこに投げるのが最優先か? → ホームベース
  • 守備位置はどこか? → 前進または中間(アウトカウント、ランナーの位置、打者によって変わる)
(2)完成させたいプレーは?
  • キャッチャーのどこに投げるのか? → タッチプレーかフォースプレーかを確認
  • 投げる位置は状況によってどう変わるか? → 打球の強さ、捕球した体勢などによって
練習では一回一回、状況を少しずつ変えて、その都度彼らに、こちらから質問をして、確認させます。で、プレーの後に必要であれば、状況判断が正しかったか、正しい位置にボールが投げられたかなどのフィードバックを与えます。そして、一番強調するべきことは、これらのことは、試合において、全ての状況で、自分が守っている時に、ピッチャーが投げる前に行うべき準備なわけです。つまり、プレッシャーがかかる場面で、このような準備を周到に行うことで、自分が今、ここでやるべきことを確認し、それに集中することによって、余計なことに神経を使う余地がなくなるわけです(エラーをしたらどうしよう、とか)。さらにメンタル的なことを付け加えるとしたら、(1)の状況判断をしっかり他の野手に声を出して確認すること(チームプレー)、(2)の完成させたいプレーを実際自分が、成功させているイメージを瞬時に行うこと(イメージトレーニング)で、さらに他の選手や、自分自身の集中力を高めたり、自信を持って次の瞬間に臨むことが出来ます。ただ、繰り返しになりますが、こういったことをいかに日々の練習でやっておくかが、試合の一瞬のプレーにおいて明暗を分ける差になります。

こうやって、メンタルトレーニングというものを日々の練習に取り入れていくことで、練習の質(Quality of Practice)の向上に役立つし、実際の試合で、練習の成果を発揮できる可能性を高めていくことになります。

バッティング練習については、また次回。

Monday, May 26, 2008

2008春

ご無沙汰です。

あれやこれやありましたが、2008年春学期も無事に終わりました。学期中はただでさえ余裕がなくなってしまう上に、今学期は体調を崩してしまったこともあり、ようやく終わってほっとしています。今学期を終了して、とりあえず無事卒業単位を取得することが出来ましたこれから先は、コンプリヘンシブ試験、博士論文に取り組むことになり、来年春の卒業を目指します。あまり実感はないのですが、一応は節目を迎えたということで、とりあえずブログにて報告。そして、これをきっかけに何とかブログの更新頻度をあげていきたい、と熱烈に思っています 笑。

実は、今までブログの更新が滞っていた理由のひとつに、知らず知らずのうちに、たいそうなことを書こうと力みすぎていたような気がするので、今後は少し力を抜いて、メンタルのこと、大学院生活のこと、なんかをつらつらと書いてみようかと思います。アメリカ生活のしょーもないアホな日記はミクシイの方でちょくちょく書いていくとして、こちらでは、もう少し日々考えていることや、メンタルのことなんかを更新出来たらいいかなと思います。

少し力を抜いて、といった矢先になんだけど、大学院生活もあと1年(予定)を残すだけとなり、この1年は環境的にも、心境的にもいろいろと動きが見られることが予想されます。まあ、そんな中、自分を鼓舞する意味でも、このブログを再開するのもいいかな、と思っています。頭は冷静に、でも、ハートは熱く、自分のゴールに向かって、走り抜きたいと思います。