引き続いて剣道について。
現在、剣道界が抱えている問題の1つに「剣道のスポーツ化」というのがあります。意外に思われる人もいるかもしれませんが、剣道をやっている方は「剣道は武道であってスポーツではない」という強い思いを持っています。去年の冬、日本で全日本剣道連盟に足を運ぶ機会があったのですが、そこでお会いした先生も、「剣道は心です。剣道は武道であって、勝ち負けだけを競うスポーツではない」ということを強調されていました。ウチの道場の先生方も、そこは常に強調しています。「ストリートファイトのように打ち合うだけのものは剣道ではない」と。一方で、剣道を世界に広めたいという思いからか、オリンピック競技などに普及させたいと思っている方々もいるようです。
「剣道のスポーツ化」を恐れている人の多くは、柔道が直面している事態に陥ることを危惧しています。ご存知の通り、柔道は今や世界に広まっていて、オリンピックでも人気の競技です。ところが、反面、日本古来の柔道の姿というのは影を潜めて来ています。例えば、スポーツの流れで避けられないのは、「試合における勝負の明確化」です。現に柔道は、勝ち負けの判断を簡素化するためにポイント制が導入されています。技が完全に決まらなくても、ある程度決まれば技ありなり、有効なり、効果なりというポイントになり、試合が終わった時点でポイントが多い方が勝てることになります。そうすると、どういうことが起きるかというと、本来の技の形が、ポイントを取るために崩れて来たり、先にポイントを取った方が、防御一辺倒になったり、と柔道本来の、堂々と組み合って技をかける、という理念が崩れてくることになります。また、「魅せる」というのもスポーツの特徴のひとつでしょう。柔道のカラー道着の導入なども、見ている側を考えての変化かもしれません。
柔道は、いまや日本のものだけではなくなっています。もちろん、それは喜ぶべきことです。しかし、競技としての柔道の存在が大きくなればなるほど、日本人が柔道と向き合って来た心の部分、柔道の理念というのは、世界で柔道に取り組んでいる人の間で、完全には忘れ去られないかもしれませんが、徐々に薄まってしまう可能性はあるのかもしれません。日本の柔道関係者の「勝ちたい」でも「柔道誕生の国として、本来の柔道を貫きたい」という葛藤は、想像を絶するところだと思います。
そういえば、日本に帰国している時に、興味深い新聞記事を目にしました。世界で大活躍しているご存知、谷亮子選手についての記事でした。記事の中で、世界で勝ち続けるための秘訣について、彼女自身、「世界で勝つための柔道をすること。日本の選手の中には、『本来』の柔道に固執するあまり、世界で苦戦している選手がいる」とのことでした。これには「なるほど!」と思ったのと同時に、葛藤はなかったのだろうか?とも思いました。しかし、彼女が「世界で勝つ」ことを目標として、全てをその目標達成のために決断し、対応させたことに彼女の強さがあるのかもしれません。
伝統を守るために本来の理念を追求するのも1つの道であり、世界の流れに乗って勝負に徹するというのも1つの決断です。伝統を守りたい全日本剣道連盟の方々が、剣道本来の理念を守るべく行っていることの1つは、審判の育成だそうです。つまり、理想の一本というものを、まず審判が理解していて、その基準に満たない技を審判が取らなければ、選手は自ずと理想の一本に向けて技を磨かざるをえないということです。この教育的アプローチというのは、地道で時間を要することですが、とても大切なことだと思います。つまり、「伝統を守る」、「スポーツ化を防ぐ」といったスローガンを声高に叫ぶだけではなく、具体的にアクションを起こす。まずは、本物の理想的な技を見抜く目を審判に養わせる。そして、各選手が理想の技を身につけるべく、日々の稽古に励む。窮屈に聞こえるかもしれませんが、スポーツであれば、プロフェッショナルから、レクレーションまで、様々なスタンスがあっていいと思いますが、全日本剣道連盟は「剣道はスポーツではない」というスタンスを取っているのですから、「伝統」や「理念」を守るというスタンスを最優先させることは筋が通っていると思います。ただ、初心者の自分が言うのもなんですが、日本における剣道ですら、長い時間をかけて、変化を経て、現在の形になったはずです。「伝統」や「理念」を守るという地道な姿勢を保ちつつ、必要であれば変化を厭わないという形が理想ではないかと思います。
最後に、先日お会いしたM先生が、稽古の後に飲んでいる時に、こうおっしゃってました。「私は、何も多くの人に剣道をやってもらわなくてもいいと思ってるんですよ。本当に剣道を理解して、賛同してくれる人だけがやってくれたらいいと思っています。」このセリフに魅力を感じた自分も、よくも悪くも伝統を重んじる保守的な日本人根性の持ち主なのでしょうか?
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Saturday, June 14, 2008
Thursday, June 12, 2008
教わることのありがたさ
剣道をやってます。
始めたのは2年くらい前なんだけど、授業がある学期中には思ったように稽古に行けなくて、いまだに初心者のレベルなんだけど。。。
メンバーは韓国人の先生、日本人の先生に、米、韓、日と若いの古いの、♂、♀といろいろいます。メンバー達は純粋に剣道がうまくなりたいと情熱を持っている人たちばかりで、この日本の伝統文化を本当によく理解していて、リスペクトしています。例えば、「先生」「はい」「よろしくお願いします」「ありがとうございました」という日本語は常に使われています。言葉だけではなく、先生を敬う姿勢、仲間を思いやる態度という今では古いと言われかねない日本の大切な精神文化も、このメンバーの中では見られます。
以前、スポーツ心理学の授業で、剣道の稽古についてレポートを書いたことがあったんだけど、剣道の稽古での一番の特徴は、先生自ら稽古に参加しているということです。防具を着けて、基本の打ち合いの時から、生徒が2人1組になって打ち合う地稽古という稽古の時でも、先生はちゃんと生徒の1人と打ち合います。これは、いわゆるスポーツにおけるコーチとは少し違う点だと思います。もちろんフットボールやバスケットボールで選手と混じって練習するのは容易ではないので、単純に比較は出来ませんが。
実際、自分のような初心者にでも先生は、文字通り「胸を貸して」くれるがごとく、稽古をつけてくれます。基本打ちの型を見てくれたり、地稽古では、先生自ら容赦なく打ってくれることもあります。そして、あえて「打ち間」といって、「この距離、このタイミング」で打つんだよ、というところで、わざと隙を作ってくれることもあります。こうして、実際向き合って先生が自ら教えてくれるということは、本当にありがたいことですし、重みがあります。
先日、もともとこの道場で長い間教えていただいていたM先生が、現在お住まいのフロリダからわざわざ道場を訪ねて来てくれました。先生は、ちゃんとご自分の防具と竹刀を持って来て、我々生徒に稽古をつけてくれました。こうしてまた一緒に剣を交えるというのが、先生にとっても、生徒にとっても再会の喜びを表す一番の手段なのでしょうし、こうした先生の思いというのが、我々生徒にとっても嬉しいものなのです。去年、ある授業の課題で、道場のアメリカ人の同僚2人にインタビューをしたことがありました。日頃から本当に一生懸命剣道に取り組んでいる2人の発言は、立派な日本人の心を持っているように感じ、逆にこちらが心を洗われるような思いになったものです。インタビューの中で、2人は口を揃えて「M先生に教わった剣道を実践しているだけです」と言っていました。そう言い切る2人の表情には、自信と誇りを感じたものです。
そのうちの1人が、初めて大会に出たときのことを話してくれました。初めての大会で、彼は相手に全く歯が立たずに負けてしまったそうです。 しかし、彼の中では、日頃からM先生や、韓国人のH先生から「試合に勝つためだけの剣道なんてやらなくていい。正しい剣道を追求しなさい」と言われてたので、その試合では勝てなかったけど、教わったことをそのまま実践した、という自負があったそうです。時を経た今、彼は相手にそう簡単に崩されることのない、本物の剣道が身についているという実感があるそうです。
こうして、稽古を通じて、生徒は技を教わり、心を教わり、自分の剣道を築き上げていくわけです。そうして、先生から教わったことを、今度は自分のような初心者に、教えてくれます。時間を掛けて技と心を身につけた彼らの態度からは自信と誇りが伝わってくるし、そういう彼らの視線を見ているとこちらは「これが、剣道で目指すべきところなのか」という気持ちになるものです。こうして、同じ理念や目標を共有しているという思いが、世代や国籍を越えてメンバーの間に敬意や思いやりが芽生えてくるのでしょう。
30歳半ば。人生まだまだわからないことはたくさんあり、学ぶことはいくらでもある年齢だとは思いますが、最近、腰を据えて物事を教わるという機会がどんどん減っているように思います。本を読んで知識を得たり、授業を受けて学ぶことはあっても、面と向かって体をつきあわせて、共に汗を流して「教わる」というこの道場での体験は、人々の思いをひしひしと感じとれる、ありがたいひとときであり、他ではなかなか得られないものです。
まあ、とりあえず自分の当面の課題は、うだうだ言ってないで、きっちり稽古をし続けることですが。。。
始めたのは2年くらい前なんだけど、授業がある学期中には思ったように稽古に行けなくて、いまだに初心者のレベルなんだけど。。。
メンバーは韓国人の先生、日本人の先生に、米、韓、日と若いの古いの、♂、♀といろいろいます。メンバー達は純粋に剣道がうまくなりたいと情熱を持っている人たちばかりで、この日本の伝統文化を本当によく理解していて、リスペクトしています。例えば、「先生」「はい」「よろしくお願いします」「ありがとうございました」という日本語は常に使われています。言葉だけではなく、先生を敬う姿勢、仲間を思いやる態度という今では古いと言われかねない日本の大切な精神文化も、このメンバーの中では見られます。
以前、スポーツ心理学の授業で、剣道の稽古についてレポートを書いたことがあったんだけど、剣道の稽古での一番の特徴は、先生自ら稽古に参加しているということです。防具を着けて、基本の打ち合いの時から、生徒が2人1組になって打ち合う地稽古という稽古の時でも、先生はちゃんと生徒の1人と打ち合います。これは、いわゆるスポーツにおけるコーチとは少し違う点だと思います。もちろんフットボールやバスケットボールで選手と混じって練習するのは容易ではないので、単純に比較は出来ませんが。
実際、自分のような初心者にでも先生は、文字通り「胸を貸して」くれるがごとく、稽古をつけてくれます。基本打ちの型を見てくれたり、地稽古では、先生自ら容赦なく打ってくれることもあります。そして、あえて「打ち間」といって、「この距離、このタイミング」で打つんだよ、というところで、わざと隙を作ってくれることもあります。こうして、実際向き合って先生が自ら教えてくれるということは、本当にありがたいことですし、重みがあります。
先日、もともとこの道場で長い間教えていただいていたM先生が、現在お住まいのフロリダからわざわざ道場を訪ねて来てくれました。先生は、ちゃんとご自分の防具と竹刀を持って来て、我々生徒に稽古をつけてくれました。こうしてまた一緒に剣を交えるというのが、先生にとっても、生徒にとっても再会の喜びを表す一番の手段なのでしょうし、こうした先生の思いというのが、我々生徒にとっても嬉しいものなのです。去年、ある授業の課題で、道場のアメリカ人の同僚2人にインタビューをしたことがありました。日頃から本当に一生懸命剣道に取り組んでいる2人の発言は、立派な日本人の心を持っているように感じ、逆にこちらが心を洗われるような思いになったものです。インタビューの中で、2人は口を揃えて「M先生に教わった剣道を実践しているだけです」と言っていました。そう言い切る2人の表情には、自信と誇りを感じたものです。
そのうちの1人が、初めて大会に出たときのことを話してくれました。初めての大会で、彼は相手に全く歯が立たずに負けてしまったそうです。 しかし、彼の中では、日頃からM先生や、韓国人のH先生から「試合に勝つためだけの剣道なんてやらなくていい。正しい剣道を追求しなさい」と言われてたので、その試合では勝てなかったけど、教わったことをそのまま実践した、という自負があったそうです。時を経た今、彼は相手にそう簡単に崩されることのない、本物の剣道が身についているという実感があるそうです。
こうして、稽古を通じて、生徒は技を教わり、心を教わり、自分の剣道を築き上げていくわけです。そうして、先生から教わったことを、今度は自分のような初心者に、教えてくれます。時間を掛けて技と心を身につけた彼らの態度からは自信と誇りが伝わってくるし、そういう彼らの視線を見ているとこちらは「これが、剣道で目指すべきところなのか」という気持ちになるものです。こうして、同じ理念や目標を共有しているという思いが、世代や国籍を越えてメンバーの間に敬意や思いやりが芽生えてくるのでしょう。
30歳半ば。人生まだまだわからないことはたくさんあり、学ぶことはいくらでもある年齢だとは思いますが、最近、腰を据えて物事を教わるという機会がどんどん減っているように思います。本を読んで知識を得たり、授業を受けて学ぶことはあっても、面と向かって体をつきあわせて、共に汗を流して「教わる」というこの道場での体験は、人々の思いをひしひしと感じとれる、ありがたいひとときであり、他ではなかなか得られないものです。
まあ、とりあえず自分の当面の課題は、うだうだ言ってないで、きっちり稽古をし続けることですが。。。
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