Tuesday, September 26, 2006

Achievement Goal Theory

前回はモチベーションについて書きましたが、今回はその続編で、Achievement Goal Theoryというのを紹介したいと思います。この理論はパフォーマンスに影響を与えうる3つの要素、Goal orientation, Perceived competence, Achievement behavior、がいかにそれぞれ関係しているかということを説明しています。この3つの要素はそれぞれ、以下のように分類されます。
  • Goal orientation(目標の指向性)
    • Task (Mastery) oriented goal
    • Ego (Outcome) oriented goal
  • Perceived competence(自分で認識している能力)
    • High perceived competence
    • Low perceived competence
  • Achievement behavior(行動)
    • Effort(努力)
    • Persistence(忍耐力)
    • Task choice(取り組む課題の選択)

パフォーマンス

Task orientedな選手は、自分が取り組んでいる課題や、自分の技術を伸ばすことにフォーカスしています。そのため、自己記録の更新や、自分の課題をクリアすることで達成感を感じます。自分の能力は変化するものだと捉えていて、成功は努力によってもたらされると考えています。達成したか否かというのは自分の中の基準(自己記録など)によって決まります。

一方で、Ego orientedな選手は自分が他者より優れているかどうか、ということにフォーカスしています。能力は生まれつき決まっていて、成功は持って生まれた能力によって決まると考えています。達成感は自分が他者より優っている、または、他者より少ない努力で同等の成果をあげた、と認識することによってもたらされます。

当然、Task orientedとEgo orientedの選手には行動に違いが出ます。例えば、Task orientedの選手は新しい技術や戦術を身につけることに関心を持っているので、より高いレベルの課題を選ぶ傾向にあります。能力は変化しうると捉えていて、かつ成功は努力によってもたらされると考えているので、目標達成のために努力を惜しまず、辛抱強く挑戦を続けます。このタイプの選手は、自分の課題をクリアしたり、過去の記録を更新することで達成感を感じるので、往々にしてポジティブで、高い自信を持っていられます。

一方、Ego orientedな選手は自分の能力が高いと感じている時(HPC: High Perceived Competence)と、低いと感じている時(LPC: Low Perceived Competence)で、行動に違いが出ます。自分に能力 があると感じているアスリートは、自分に能力があることを見せつけたいため、比較的簡単な課題を選びます。達成のための努力はあまりしません、なぜなら彼らは能力は生まれつき備わっているものと捉えてて、自分には能力があるというところを見せたいからです。彼らは自分の課題が成功しそうだと思っているうちは、逆境にも耐えられますが、一旦雲行きが怪しくなると、その忍耐力はもろいです。セルフイメージはポジティブで、自信も持てていますが、同時にもろさも兼ね備えています。

しかし、Ego orientedの選手が自分に能力を感じていないとき、彼らは極端に高いレベルか極端に低いレベルを選びます。なぜなら、極端に低いレベルなら必ず成功が期待出来るし、極端に高いレベルなら、失敗しても他の選手も同様に失敗する可能性があるので、自分が能力不足だと見られる危険性が少ないからです。このタイプのアスリートは、他者との競争の中で自分を見てる上に、自分の能力に自信がないため、自己疑念を抱きやすく、セルフイメージもネガティブで、努力や辛抱強さも期待出来ません。

現実問題、アスリートは内発的、外発的モチベーションと同じように、このTask、Egoも両方持っていると言えるでしょう。しかし、Ego orientedに偏ったアスリートは、自分の能力が高いと感じているうちは、行動やパフォーマンスに悪影響は及ばさないかもしれませんが、彼らは常に他者との比較で自己を評価する傾向があります。つまり、たとえ自己ベストを出したり、以前より技術や記録が進歩したとしても達成感を得られない可能性があるということです。なぜなら、自分がベストを尽くしても相手がそれより優っていたら、結果としては相手に敗れることになるからです。そのためEgo orientedの選手は、自信を失う危険性が高く、努力や忍耐力を見せることもなくなって、ついにはパフォーマンスに悪影響を及ぼす可能性が出てきます。

この理論は、指導者には大いに参考になるところだと思います。実際、勝負の世界では「こいつに負けてたまるか」というEgoの部分があるのは当然ですが、長い競技生活、常に相手に勝てるとは限りません。特に、相手のパフォーマンスは自分達のコントロール出来ない範疇であり、自分達がコントロール出来るものは努力であったり、プロセスであったりするので、日頃から、チームとしても、個人としてもTaskにフォーカスした目標を設定したり、個々の選手がそれぞれのレベルで進歩を見せたらポジティブなフィードバックを与える必要があるでしょう。

実際問題、スポーツ現場でこの理論を応用するとしたら、「オマエはEgoだからTaskにしろ」というようなアプローチではなく、Egoのアスリートが、自信を失ったり、ネガティブな感情を持ったりする危険性を軽減するために、監督、コーチがTaskにフォーカスしたアプローチを浸透させるという形になるでしょう。例えば、試合には負けたけど、ディフェンス面ではダブルプレーを3つ決めたので、その点は内野手の守備力向上に対してプラスの評価をする、とか、今日は内野でいくつかのエラーが出たけど、いずれも外野手の素早いバックアップのおかげで傷口が最小限で済んだとなれば、外野手のカバーリングへの姿勢を評価するべきでしょう。

さて、今回もモチベーションに関わるトピックで書いてきましたが、いかがだったでしょうか?前回の内発的、外発的の話よりちょっと複雑だったかもしれませんが、アスリートの行動パターンを把握するには、意外と役に立つ理論だと思います。いつものように、素朴な疑問やコメントをお待ちしています。

Friday, September 15, 2006

なぜスポーツに向かうのか?

みなさんご無沙汰してます。
週一回は更新します、と豪語してからはや1ヶ月。月日が経つのは早いもんですねぇ。さて、張り切って再開したいと思います 笑

ところで、みなさんはなぜスポーツに向かうのでしょうか?この問いにはいろんな答えがあるでしょう。「好きだから」というシンプルなものから、「勝負ごとで他人に勝ちたい」、「目立ちたい」、「難しい技が出来るようになりたい」などいろいろな要素があるでしょう。つまり、この「なぜ?」という問いの答えがモチベーションなわけです。 実際には、この「なぜ(Why)?」に「どのくらい(How much)?」を加えて、その選手のモチベーションの方向性や程度を把握することになりますが、今回はその「なぜ(Why)?」を分析していきましょう。

では、そのなぜ(Why)ですが、「競技そのものが好きだから」、「競技そのものが楽しいから」という選手は内発的動機(Intrinsic Motivation:IM)によって競技に取り組んでいることになります。それに対して、外発的動機(Extrinsic Motivation:EM)があって、このEMはさらに外的規制(External Regulation)、取り入れ(Introjected Regulation)、同一視(Identified Regulation)の3つに分けられます。それぞれ説明しますと、
  • 外的規制(External Regulation)とは、外部の報酬、お金や賞品によって動機づけされることです。
  • 取り入れ(Introjected Regulation)とは、自分の中で「〜しなきゃいけない」と思うことから競技に取り組みます。これは一見IMに見えますが、結局、自分の中で自分に課したルールのようなものに左右されているのでEMになります。このタイプの選手は、もし練習をサボると罪悪感を感じるので、練習に向かいます。
  • 同一視(Identified Regulation)とは、自分から取り組んではいるのですが、そこには楽しみや喜びを見いだせていない状態で、単にかっこいいからといったような理由で競技に取り組んでいます。
そして、IMにもEMでもなく、何で競技に取り組んでいるか分からないという、非動機づけ(Amotivation)という状態があります。これは「何をやってもダメだ」という考えになってしまう学習性無力感(Learned Helplessness)に繋がる可能性があります。

今までのところを表にまとめますと
  • 非動機づけ(Amotivation)
  • 外発的動機(Extrinsic Motivation)
    • 外的(External Regulation)
    • 取り込み(Introjected Regulation)
    • 同一視(Identified Regulation)
  • 内発的動機(Intrinsic Motivation)
この表では、下に行けば行くほど、自己決定(Self-determination)による行動であると言うことができます。つまり、自分の意志が行動に反映されているということです。ちなみに、自己決定が一番反映されている内発的動機(IM)に影響を与える要素として以下の3つが挙げられます。
  • コンピテンス(≒能力:Competence)
  • 自律性(Autonomy)
  • 他者との結びつき(Relatedness)
つまり、選手が自分の能力を感じることができ、選手自身が自律性を持てて、なおかつ他者(コーチやチームメート)との結びつきを感じられる環境を作ることによって、選手は自分の競技そのものに興味を持って自発的に取り組めるようになる、つまり競技に対して自分の内側からモチベーション(Intrinsic Motivation)が高まっていくということです。

では、外発的動機(EM)はダメなのか?ということですが、必ずしもそうとは限りません。例えば、外発的動機(EM)によって、その選手が自分の能力(Competence)を認識出来る場合、例えば、スポーツ奨学金をもらうことによって、選手が自分の実力を客観的に捉えられるような場合などは、外発的動機(EM)はその選手の内発的動機(IM)を助長する働きが期待出来ます。しかし、選手が「奨学金をもらうために頑張る」というふうになってしまった場合は、報酬のために競技に取り組んでいるということになるので、自己決定(Self-determination)が弱まった行動になってしまい、つまり内発的動機(IM)を阻害することになってしまいます。

さて、みなさんがスポーツに向かう理由はなんでしょうか?


追:今回は少し専門用語が多くなってしまいました。当然、読者にわかりやすく伝えられるように努力をしたつもりですが、実際どんなもんでしょう?このブログは読者の方とボク、または読者同士の書き込みのキャッチボールで成り立っているものなので、わからないところ、リクエストなどがあったら遠慮なくコメントして下さい。

追2:この書き込みは基本的には今、授業でやってる教科書の内容をベースにしていますが、専門用語の日本語訳には「スポーツ心理学 ハンドブック 上田雅夫」(2000、実務教育出版)を使わせてもらっています。もし、対訳が不適当だと気がついた方は是非お知らせください。

ちなみに教科書: Williams, J. M. (2006). Applied sport psychology: Personal growth to peak performance (5th ed.). McGraw-Hill.

Wednesday, August 09, 2006

ちょいと連絡事項

このブログを読んでくれてる皆さん、いつもありがとうございます。
熱心に投稿してくれてるみなさんには、本当に感謝しています。

ところで、皆さんの中には「このブログ、一体どのくらいのペースで更新されるんだ?」って思ってる方がたくさんいると思います。「毎日のぞいてみてはいるけれど、いっこうに更新されてないから、もーやーめた」なんて人も出てきたかもしれない、と心配になって少し調べてみたら、このブログに更新をお知らせする機能がどうやらあるようなんです。仕組みはどうも、googleなどでメーリングリストを作って、そこに管理者であるボクがみなさんのメールアドレスを登録すると、ブログが更新されるごとにそのリストに、「更新しました」という情報が流れるみたいなんです。なぜそんなまどろっこしいのかというと更新をお知らせする機能は着いているものの、登録出来るメルアドは1つのみということなんです。「何か便利なようで、不便だな〜」って感じですが。なので、複数の人にお知らせするにはメーリングリストを作るしか手段がないということです。まあなにぶん機械音痴なもんで、またちがう方法を見つけたらその都度ご連絡します。

なので、更新通知をご希望の方は、直接書き込んでもらってもいいですし、メールでもいいですし、ご連絡ください。今のところ読者はみんな知り合いの人って勝手に決めつけてるんで、あえてメルアドなんかもこの場で公開していませんが、万が一通りすがりの方で、更新通知をご希望の方がいらっしゃいましたら、その旨書き込みをお願いします。

ちなみに、このブログはこちらの一方的な書き込みだけではなくて、みなさんと議論することも目的の一つなので、更新は週一回をメドにしています。

では、今後ともよろしくお願いします。
ご意見ご要望などもありましたら、何なりと。

Sunday, July 30, 2006

メンタルの強さ

これまでスポーツにおける成功とか、スポーツと人間的成長などについて議論を繰り広げてきました。これらのトピックは、スポーツや他のパフォーマンスに携わる人間にとって、半永久的なテーマでもあり、状況や環境、成長段階によって変わるものでもあると思うので、このブログを読んでくれてるみなさんが何か思うことがあれば、いつでも書き込んでください。考えや意見がまとまらなくても書くことによって少し整理されたり、他の人に意見を聞くことによって自分の考えがまとまることもあると思うので、気軽に書いてみてください。

さて、今回はスポーツ心理学の本体に少し近づいたトピックを投げてみたいと思います。

「メンタルの強さとは?」

おいおい、これまた曖昧なトピックだなーと思ってる人も多いことでしょう。ですが、物事の大切なことの一つに正解、不正解のないものを考え抜くこと、というのが挙げられると思います。過去の書き込みにも「自分の哲学」というフレーズがありましたが、こういうシンプルだけど、答えのないものを考えるというのは、自分の哲学を作り上げるのにいいアプローチだと思います。そんなことどうでもいいって人は、ぜひこの簡単な問いかけについて気軽に考えてみてください。ちなみに今回のこのトピックも例によって正解、不正解の類いのものではありません。ただ、パフォーマンスに関わるみなさんが、さらにメンタルに興味のあるみなさんが考える「メンタルの強さ」について少しでも言葉にしてもらえたら、それで十分です。それは、自分の理想でもいいし、自分の中にすでに持っている何かでもいいし、誰か好きなアスリートや他のパフォーマーが持っているものでも何でもいいです。

さて、手始めに自分から「メンタルの強さ」について思うところを書いてみます。自分の競技生活を振り返って、またいろいろなアスリートを見聞きする中で、「メンタルの強さ」を表す性質で、今特に大切だと思うものは2つあります。

「継続性」と「一貫性」

例えば、勝負どころや土壇場で周りがびっくりするような成果を出しているアスリートがいます。ですが、それはたいていの場合、びっくりしているのは周りであって、本人はびっくりしていません(まあ稀に「自分でもびっくりです」なんてこともあるけど)。なぜなら、本人は日頃からそのための準備をしているから。つまり本人達にしてみれば、日頃やっていることを、勝負どころや土壇場でもやっているにすぎないのです。

それなら「オレだっていつも一生懸命練習してる」って言う人もいると思います。では、本当に常日頃、1時間1時間、一分一秒コツコツと練習している人がどれだけいるのでしょうか?もし毎日30分、練習で手を抜く人がいたら、その人は毎日30分ずつ人から遅れていくことになるわけです。練習場に来てても「今日はやる気がしない」と言って練習中、上の空になってしまっても、それはコツコツとは言いがたいですね。それが、1ヶ月、1年と経つと、どれだけの差になるかは想像出来ますよね。

アスリートも大人になればなるほど、スポーツ以外のところでやらなくてはいけないことが増えてきます。仕事だったり、学業だったり、家庭だったり。誘惑も増えてくるでしょうし、断れない用事もあるでしょう。そんな中で、「毎日コツコツ」というのが実はどれだけ価値のあることかというのは理解出来るでしょう。「継続は力なり」というのは見事に的を得た諺だなっていつも思います。

ひとつエピソードを紹介したいと思います。これは女子柔道でオリンピック3大会でメダルを獲得した田辺陽子選手の話なんですが、あるとき、彼女が自分の所属しているミキハウスの木村社長と会食をしてたそうです。しかし夜も更けてきたころ、就寝時間なども徹底して自己管理していた彼女は途中で帰ってしまったそうです。自分の所属する会社の社長との会食中にです。おそらく彼女の行為は賛否両論でしょう。しかし、彼女は柔道で成功するために自分のコンディショニング、生活のリズムを優先させたのです。この話は、彼女のように自分が決めたことを継続する執念が土壇場で大きな力になるのだろうという気にさせてくれるとともに、何かを継続することは簡単ではないということを感じてしまうエピソードだと思います。

次に、「一貫性」についてですが、これは「どういう練習をしているか?」ということです。練習はまぎれもなく試合のためにあるものであって、「試合でこういうプレーをしたい」ということを練習に反映させることが必要です。それは技術練習であったり、フィジカルなものかもしれないし、このブログでも取り上げていく、メンタル的なものかもしれません。ただ、練習→試合という流れが常に一貫したものである必要があります。よく「練習のための練習」という言葉を使いますが、試合でよりいいパフォーマンスをしたいのであれば、どういう練習をするべきかというのを突き詰めて考える必要があります。それには、数多くのアプローチが存在すると思いますが、その中から自分に合った効果的なものを選ぶには試行錯誤する必要があるでしょう。実際、時間のかかる作業です。あれこれ試すのは大切なことですが、例え練習メニューを変えていったとしても、最終的には自分の中で一貫したものを築く必要があります。「自分はこういう練習をこれだけやってきたので、試合でこういうパフォーマンスが出来るんだ」と言えることは勝負のかかった場面で確固たる自信を持ち続けるために、一番の支えになるものです。すべては試合の一瞬まで線でつながっているのであって、一瞬の勝負どころも毎日の継続の中の一点でしかない、ということです。

結局のところ、自分にとって「メンタルの強さ」というのは、パフォーマンスを行う一瞬の状態を指すものではなくて、その一瞬を作り出す日々の中に表れる性質だと思います。勝負の一瞬という「点」までを結ぶ日々の無数の点が積み重なることで、力強い一本の線になるというイメージです。

さて、これはあくまで自分が思っているところの「メンタルの強さ」です。みなさんはどうやって「メンタルの強さ」を言葉にできますか?

Friday, July 14, 2006

アスリートと人間的成長

前回はスポーツにおける成功とは?という議論から何となく人生全般における話へと発展していきましたが、今回も少しその流れに乗っていきます。最初に、「スポーツ心理学ハンドブック (上田雅夫 実務教育出版)」から、一つ題材を紹介します。これはもともとオーストラリアのスポーツ心理学のワークショップで使われたものとのことです。原文を手に入れようと問い合わせたのですが、ちょっと難しそうなので訳文をちょっと要約してみたいと思います。

「The mature professional athlete」

スポーツにおいて成功を収めることは、人生において他の事柄で成功を収めることと極めてよく似ています。成功を収める人は「成熟」と呼ばれる態度を持っています。普通は年齢とともに、経験を積んで、成熟度は増していきますが、必ずしも経験=精神的な成熟とは限りません。最初のステップは「成熟」がどれだけ重大な意味を持つかを理解することです。成熟した人間が持つ態度や行動は、スポーツに限らず、人生のあらゆる場面で活かすことが出来るはずです。その成熟した人間が持っている特徴とは次のようなものです。

1. 責任
成熟したアスリートは、彼ら自身が意思決定の際に「選択権」を持っているということを認識しています。意思決定を他人に任せてしまったり、他人のサポートに依存しすぎてしまっている人は、もし自分の望んでいない結果が出てしまった時に、他人の責任にしがちです。成熟したアスリートは、自分で意思決定を行い、目標を設定し、目標達成に向けて努力をし、そして次の目標へのモチベーションを高めていきます。つまり、自分の人生を自分でコントロールしているのです。もちろん、彼らも他人から学ぼうという姿勢は持っていますが、最終決定は彼ら自身で下すのです。
次に、成熟したアスリートは自分自身の強みと弱みについて責任を持っています。自分の強みと弱みを受け入れて、弱点を克服し、強みをさらに伸ばすべく努力を続けることです。彼らは自分で超えられる限界と、そうでない限界を区別しています。

2. 気づきと受諾
自分の強みと弱みを受け入れるためには、まず自分自身を冷静に観察することが必要です。成熟したアスリートは自分自身を良く理解しています。世の中の人間は十人十色で、ものの見方は人それぞれです。自分自身を知るためには、まず自分がどのように物事を見ているのか、どのように認識しているのかを理解する必要があります。そして、それは他人とは異なる、自分自身の物の見方だということを受け入れる必要があります。成熟したアスリートは自分を他人に似せたいとは思わないし、自分を他人と比較するようなことに時間を浪費しません。彼らは自分自身をありのままに受け入れ、自分自身の能力を最大限まで高めるよう努力します。

3. 現実性と合理性
自分自身を受け入れるためには、現実的に、客観的に、そして合理的に自分自身を、または自分の周りのことを見つめる必要があります。短期間の目標設定を行い、自分のパフォーマンスと比較できる基準を持つと、より現実との対比が出来るようになります。よりよいパフォーマンスをもたらす要因をリストアップしておくのもいい方法です。こうしたことによって、自分のパフォーマンスを客観的、現実的に評価することが出来ます。
また「成熟」さを表すものに、合理的な物の考え方を挙げることが出来ます。合理的な物の考え方とは、現実的で肯定的に物事をとらえ、自分の目標に向かって邁進する役割を果たします。それはプレッシャーのかかる場面でも、自分の気持ちのバランスを保つのに役立ちます。合理的な信念の例としては、「自分の能力を最大限発揮するために頑張ろう」などが挙げられます。
一方、非合理的な物の考え方は、否定的で、目標に向かう行動を阻害します。それは、例えば「完璧でありたい」というようなものです。アスリートとして可能な限り自分を高めることは重要なことですが、完璧でいるということは果たして可能でしょうか?このようなアプローチは、自分をただプレッシャーの中に放り込んでしまうだけです。このような、否定的で、非生産的で、挫折の危険性を伴う非合理的な考え方を自分自身で見つけ出し、それらを自分で合理的で生産的な考え方に置き換えられるようにしましょう。

4. 自己管理
1日の中で、アスリートはトレーニング、仕事、家庭など多くのことに時間を割かなければいけません。これらのことをうまく処理するためには、時間やエネルギーの配分をうまく割り振る必要があります。そのためには、計画を立て、優先順位を決め、その計画を実行に移します。そして、1日の終わりに、それらがうまく行われたかどうかを確認しましょう。若いうちは家族や周りの大人が、いろいろと助けてくれたかもしれませんが、もし自分が成功したいと思うのであれば、自分自身で目標を定め、優先順位を決め、実行する癖をつけなければいけません。

5. 粘り、忍耐
成功への道は長く、険しく、そして多くの障害が立ちはだかります。それはケガであったり、スランプであったり、グランド外で起こることかもしれません。いつもコンスタントに進歩できるとは限りません。物事が前進することもあれば、後退することもあるでしょう。成功を収めるアスリートは、この後退現象は自分の努力や周りのサポートを得て、克服可能であることを学んでいます。例えば、今まで立ち向かってきた自分のパフォーマンスに障害となる物、そしてそれらをうまく処理したことをリストアップしてみましょう。このアプローチは自分が後退現象をうまく処理する能力があること、改善する方法を知っているということを気がつかせてくれるでしょう。

さて、以上ざっとまとめてみましたが、どうだったでしょうか?「成熟」とか言われるとあまりピンと来ない人もいるかもしれませんが、前回のディスカッションでちらほら出てきた「人間的成長」とか、「心を磨く」といった、割と広く捉えられがちな表現も今回の5項目で少し具体的に見えてきた人もいるのではないでしょうか。自分としては自己認識、自己責任、自己管理あたりがキーワードになってくる気がします。もちろんどれが正しくて、どれが正しくないという部類の議論ではありません。みなさんが各々の価値観、人生観に基づいて、「人間的成長」に必要なものは何かっていうことを考えていただければいいと思います。さて、みなさんはパフォーマンスの向上につながる人間的成長とか成熟と聞いて、どんな性質、行動、態度を思い浮かべますか?

Tuesday, July 04, 2006

NAKATA

今回はスポーツ心理学には直接関係ないけど、皆さんご存知の通り、サッカー日本代表の中田英寿選手が引退を表明したということで、そのことについて書いてみたい。

29歳という若さでの引退について、本人はそのことについてHPでは直接触れていないが、周囲から「早すぎる」という声が出ているとともに、「彼らしい引き際」というコメントもちらほら見る。実際自分は早いとも遅いとも思わず、ただ「彼らしいな」思ったが、同じような印象を持った人も多いのではないか。彼の持つ印象と言えば、サッカーでは世界で通用するレベルを持ちながら、それは彼の人生の一部であって、本人は一生何らかの形でサッカーに関わっていくにせよ、サッカーだけで人生を終えるつもりはない。HPをのぞいてみても、そのデザインはオシャレだし、日記からも、彼の興味がファッション、インテリア、音楽など多岐に渡り、サッカー以外の活動を見てみても、ビジネス、語学習得、異文化への関心など様々なことに対して意欲的に自分のアンテナをのばしていることが伝わってくる。

自分は正直に言うと、日常的にサッカーを見ているサッカーファンではなかったんだけど(1998年以来、W杯の後にはいつも、「これからはサッカーを見続けよう」と思うんだけど)、中田選手のことは何となくいつも気になっていた。きっかけは、かれこれ4、5年前だと思うが、「ZONE」という日本のテレビ番組からだったと思う。そこに出てきた高校時代の中田選手は、初々しさこそあったもののテレビの前で堂々と「ヨーロッパでサッカーをやりたい」という自らのビジョンを語っていた(「治安がいいところがいいです」って付け加えていたのが何ともかわいらしかった)。そして、若くして代表に入った彼が、カズを相手にも堂々と自分の意志を見せてた姿がとても印象的だった(確か映像は中田が蹴るはずのFKをカズが蹴ると言い出したことに対して、怒りを表していたシーンだったと思う)。高校時代から自分の理想とするプレーがあって、目先の勝ち負けよりも、チームとして理想の形を求めることを優先させていたというような印象があった。その後、海外でプレーをするという本人のビジョン通り、彼は若くしてイタリアに渡る。海外でプレーする最初の日本人ではなかったけれど、その後多くの選手が、彼に続いて海を渡ることを夢見ることが出来るようになったという点では、野球界で言えば野茂選手の功績に似ているし、2人とも「先駆者」という表現がふさわしいと思う。

そして、これは自分個人の印象だが、野茂選手にしても中田選手にしても、「先駆者」である彼らは、その後に続く選手に比べて、実力うんぬんという以外に、明らかに「何か」が違うような気がする。野球界もサッカー界も、近年では続々と選手が海外に出て行く傾向にある。だけど、選手としての成果、実力以外の部分で、オーラ、誇り、貫禄、意志、プライド、存在そのもの、が他の日本人選手からは見えてこない「何か」を持っている気がする。そして、彼らの共通するところは、自分が日本を離れてからも、自身が巣立ってきた日本への思いを持ち続けていること(自分の経験からいうと、日本を離れたからこそ持っているのかもしれないが)。野茂選手は自身でクラブチームを設立しているし、アメリカの独立リーグのチームに日本との架け橋になるよう投資した。中田選手も自身がいたチームをサポートしている。つまり、彼らはマスコミを前に饒舌に口を開くことはないが、時に孤高などと言われる彼らがグランドの外で、他のアスリートや将来の若者達のために一肌脱いでいる。

スポーツ心理学を勉強して以来、人間的成長がスポーツの成功には不可欠だという思いが強まっている。「スポーツにおける成功」とはこれまた定義が難しいが、自分にとっては少なくとも一時の活躍を指しているものではない。スポーツは、特にプロスポーツの世界は記録やパフォーマンスの結果を通じて勝ち負けを争うもので、我々は、ついついその記録や結果の優劣についてのみ注目してしまいがちだ。しかし、人間が関わっているこのスポーツのパフォーマンスには必ずその人間の持っている性格、意志、信念、価値観が現れてくるのである。「スポーツにおける成功」とはおそらく相手に勝つこと、記録を出すことだけではないんだと思う。自己の信念を全うし、意志を貫き通し、パフォーマンスを通じて自己を、自己の価値観を表現しきれた者が「成功」を実感できるのだと思う。

「意志あるところに道は開ける」

自分が好きな言葉の一つである。彼らは自分自身の道を切り開いていくことによって、多くの、後に続くアスリート達に道を残してくれた。彼らが常に自分の意志を持っている限り、今後も自分自身の道を切り開いていけることだろう。たとえ、競技の一線から退いたとしても。自分はそういうチャレンジ精神、勇気、意志、プライド、誇りを得ることが、また「スポーツにおける成功」だと思っている。

自分は今でも野茂選手のおかげで自分がアメリカ野球に興味を持てて、そして現在に至っていることに感謝している。中田選手にも、野球ほどではなかったが、サッカー、そしてHPなどを通じて彼の価値観に触れることが出来たことに感謝している。そして、もちろん彼らとは全く異なるものだが、自分で自分の道を切り開くという意志を持つことが出来たことも、少なからず彼らからの影響もあったのではないかとさえ思っている。

「スポーツにおける成功」とはアスリートそれぞれの主観によるところであり、周りにいる我々もまた、自分たちの主観によって、アスリートの成功うんぬんを好き勝手に議論するものである。だけど、彼らはプロのサッカー、野球の世界において記録、実績においては文句なく成功を収めたアスリートであり、それは彼らの持つ才能や肉体的なもののみならず、人間的な部分が大きく関わっているように思えてならない。そして彼ら自身が、彼らのプロスポーツ人生を「成功」と思えるよう心から願っている。

中田選手の引退を惜しむ気持ちと同時に、次はどんなことをしてくれるんだろうか、という期待がすぐに自分の中から出てくることもまた事実である。プレーのみならず、引き際でも、また我々に考えさせてくれるきっかけを与えてくれた彼の存在の大きさを改めて認識した。そして、セカンドライフでもまた我々に。。。と期待してしまう。

Sunday, June 25, 2006

メンタルは万能か?

メンタルの重要性について書くはずのブログにのっけから懐疑的なタイトルで恐縮だが、少し考えてみてほしい。例えばスポーツで、相手とパフォーマンスを競う場面で、メンタルは大切なのはもちろんだが、勝負の結果は全てメンタルに起因するのか?「メンタルの差が出ました」とか「メンタルの弱さが原因です」というのは、敗者の弁としてよく耳にするフレーズである。では、果たして本当にそのコメントは的を得ているのか?

次に、以下の問いについて考えてみてほしい。「マイケルジョーダンはなぜメジャーリーガーになれなかったのか?」この問いに対して、彼は競争の激しいマイナーリーグを勝ち抜くだけの精神力がなかった、というのは適切な答えだろうか?間違いではないかもしれない。バスケットでは数々の場面で、強靭な精神力を見せた彼も野球においては、その精神力を発揮出来なかったという答えもある意味成り立つかもしれない。フィジカル面でも、パワーについては、野球選手としてどの程度だったかはよくわからないが、彼の運動能力は申し分なかったであろう。では、一番の原因は?それは、野球の技術が不十分だったから、であろう。まあ、彼は1シーズンしかプロ野球生活を送っていないので、結論を出すには無理がある議論ではあるのだが。

ここで自分が好きな著書の一つである「新インナーゲーム」(日刊スポーツ出版社)からプロゴルファーの青木功さんのコメントを引用したい。
『ゴルフはメンタルなスポーツだと言うが、賛成できかねる部分もある。だいたい、「心技体」というのは、自分は嘘だと思う。「イメージトレーニングのおかげで勝てました」などと発言する若手に限って、次の週からは元の木阿弥になることが多い。大事なのは、やっぱり体だ。重要な順番から言えば、「体技心」ではないかと思う。』
このコメントは誰もが抱いているゴルフというスポーツについてのイメージを覆すものかもしれないが、彼が言わんとしていることは、本当にプロゴルファーとして生き抜くためには、技術を身につけるのはもちろんのことだが、プロゴルファーはそれを1試合だけ出せばいいというものではなく、1年を通じて、しかもそれを毎シーズン出し続けなければいけない。安定して自分の技術を発揮するためには、それだけの反復練習をしなければいけないし、シーズン中のコンディションも整えなければいけない、ということから肉体的な強さが最初に来るべきだ、ということではないだろうか。

つまり先ほどのジョーダンの例や青木選手のコメントから言えるのは、パフォーマンスを競う場面において、メンタルが勝負を分けるというのは、あくまで技術や体力が互角である、または差があるとしても太刀打ちできるほどの差であるという場面においてだということである。そういった意味では、ごく最近の例を持ち出すとすれば、サッカー日本代表のワールドカップでの結果は、メンタルが原因とは言い切れないと思う。もちろん本来の実力を出し切れなかったことはメンタルに起因するものだとも言えなくはないけれど、日本代表の3試合と、他国の試合をざっと見比べた場合、90分間の運動量や、ボールのキープ力、パスの精度、などなどが決勝トーナメントに出るチームからは見劣りしてたのではないかと感じた(これに関してはサッカーに詳しい人からのコメントが欲しいところです)。

続いては、トリノオリンピックからスピードスケートの岡崎朋美選手の例。彼女は500Mで銅メダルに0.05秒足りずに4位に終わっている(500Mは2回のレースのタイムの合計で争われる)。これに対しての彼女のコメントが『1本目で4位の任慧のタイムを引き離した3位だったので、ちょっと守りに入っちゃったのかもしれない』『2本目で前の組に滑った任慧が38秒27を出しその時点でトップに躍り出たので意識してしまった』『2本目の最終コーナーの出口で、インコースを走っていた李が視界に入った瞬間にタイムを計算し「やばい、抜かれるかも」と思ったら焦りが出た。膝が立ってしまい、気持ちだけ先に行ってしまったんです』(Number 648)。これらのコメントから彼女の場合、0.05秒の明暗を分けたのはメンタルの差だったと言えるかもしれない。

さて、話を戻すと、パフォーマンスの出来不出来を競う勝負のかかった場面では、結果に対して選手や監督はおそらく一番インパクトのあった要素を持ち出してそれが勝因である、敗因であると言うものであろう。しかし実際は、パフォーマンスにおいては、心技体は常に切り離せないものである。「メンタルの強さ」(これに対する定義も人それぞれだと思うが)というのは勝負を分ける大切な要素であることは間違いないが、あくまで要素のひとつである。もちろん勝負のレベルによってメンタルが占める比重というのは変わってくるわけだが、自分のパフォーマンスを振り返る時は常にメンタルと同様に、フィジカル、技術も当然ながら、慎重に分析する必要がある。

Saturday, June 24, 2006

プロローグ

ブログ始めました。
何事もまずは経験。

スポーツ心理学を勉強し始めてから早3年が経とうとしています。
さて、今後も一生続けるであろうこの道について、これまで何を学んできて、それをどうやって人に伝えていって、さらにこれから何を学んでいくべきなのか、そんなことを自分自身問い続けながらやっていきたい、そんな思いからこのブログを始めました。なので、このブログは多くの人の参加を歓迎します。

知識は、身につけるだけでは半人前。それをより多くの人に伝えられるようになってこそ一人前だと思っています。学びながら教え、教えながら学ぶ。それが常に自分が心掛けていることです。

「メンタルが強いとはどういうことなのか?」「メンタルは本当に強くなるのか?」「そもそもメンタルとは何なのか?」メンタルに関する興味や疑問は尽きません。この、目に見えない、とらえどころのないものを考えていくことは時には難しく、時には人にフラストレーションを与える物かもしれません。「どうしたら自分はもっとタフになれるのか?」「どうしたら選手のモチベーションを上げられるのか?」などなど。でも、目に見えない、終わりのないものだからこそ、メンタルを追求することは魅力があって止められないものなんだと思います。

成功は、成功するまで挑戦を止めない人に訪れるものだと思います。メンタルの追求も奥が深いものです。でも、心の充実がもたらすものは、他のどんなものよりきっと魅力のあるものでしょう。

ま、おいおい話していきましょう。