Sunday, July 30, 2006

メンタルの強さ

これまでスポーツにおける成功とか、スポーツと人間的成長などについて議論を繰り広げてきました。これらのトピックは、スポーツや他のパフォーマンスに携わる人間にとって、半永久的なテーマでもあり、状況や環境、成長段階によって変わるものでもあると思うので、このブログを読んでくれてるみなさんが何か思うことがあれば、いつでも書き込んでください。考えや意見がまとまらなくても書くことによって少し整理されたり、他の人に意見を聞くことによって自分の考えがまとまることもあると思うので、気軽に書いてみてください。

さて、今回はスポーツ心理学の本体に少し近づいたトピックを投げてみたいと思います。

「メンタルの強さとは?」

おいおい、これまた曖昧なトピックだなーと思ってる人も多いことでしょう。ですが、物事の大切なことの一つに正解、不正解のないものを考え抜くこと、というのが挙げられると思います。過去の書き込みにも「自分の哲学」というフレーズがありましたが、こういうシンプルだけど、答えのないものを考えるというのは、自分の哲学を作り上げるのにいいアプローチだと思います。そんなことどうでもいいって人は、ぜひこの簡単な問いかけについて気軽に考えてみてください。ちなみに今回のこのトピックも例によって正解、不正解の類いのものではありません。ただ、パフォーマンスに関わるみなさんが、さらにメンタルに興味のあるみなさんが考える「メンタルの強さ」について少しでも言葉にしてもらえたら、それで十分です。それは、自分の理想でもいいし、自分の中にすでに持っている何かでもいいし、誰か好きなアスリートや他のパフォーマーが持っているものでも何でもいいです。

さて、手始めに自分から「メンタルの強さ」について思うところを書いてみます。自分の競技生活を振り返って、またいろいろなアスリートを見聞きする中で、「メンタルの強さ」を表す性質で、今特に大切だと思うものは2つあります。

「継続性」と「一貫性」

例えば、勝負どころや土壇場で周りがびっくりするような成果を出しているアスリートがいます。ですが、それはたいていの場合、びっくりしているのは周りであって、本人はびっくりしていません(まあ稀に「自分でもびっくりです」なんてこともあるけど)。なぜなら、本人は日頃からそのための準備をしているから。つまり本人達にしてみれば、日頃やっていることを、勝負どころや土壇場でもやっているにすぎないのです。

それなら「オレだっていつも一生懸命練習してる」って言う人もいると思います。では、本当に常日頃、1時間1時間、一分一秒コツコツと練習している人がどれだけいるのでしょうか?もし毎日30分、練習で手を抜く人がいたら、その人は毎日30分ずつ人から遅れていくことになるわけです。練習場に来てても「今日はやる気がしない」と言って練習中、上の空になってしまっても、それはコツコツとは言いがたいですね。それが、1ヶ月、1年と経つと、どれだけの差になるかは想像出来ますよね。

アスリートも大人になればなるほど、スポーツ以外のところでやらなくてはいけないことが増えてきます。仕事だったり、学業だったり、家庭だったり。誘惑も増えてくるでしょうし、断れない用事もあるでしょう。そんな中で、「毎日コツコツ」というのが実はどれだけ価値のあることかというのは理解出来るでしょう。「継続は力なり」というのは見事に的を得た諺だなっていつも思います。

ひとつエピソードを紹介したいと思います。これは女子柔道でオリンピック3大会でメダルを獲得した田辺陽子選手の話なんですが、あるとき、彼女が自分の所属しているミキハウスの木村社長と会食をしてたそうです。しかし夜も更けてきたころ、就寝時間なども徹底して自己管理していた彼女は途中で帰ってしまったそうです。自分の所属する会社の社長との会食中にです。おそらく彼女の行為は賛否両論でしょう。しかし、彼女は柔道で成功するために自分のコンディショニング、生活のリズムを優先させたのです。この話は、彼女のように自分が決めたことを継続する執念が土壇場で大きな力になるのだろうという気にさせてくれるとともに、何かを継続することは簡単ではないということを感じてしまうエピソードだと思います。

次に、「一貫性」についてですが、これは「どういう練習をしているか?」ということです。練習はまぎれもなく試合のためにあるものであって、「試合でこういうプレーをしたい」ということを練習に反映させることが必要です。それは技術練習であったり、フィジカルなものかもしれないし、このブログでも取り上げていく、メンタル的なものかもしれません。ただ、練習→試合という流れが常に一貫したものである必要があります。よく「練習のための練習」という言葉を使いますが、試合でよりいいパフォーマンスをしたいのであれば、どういう練習をするべきかというのを突き詰めて考える必要があります。それには、数多くのアプローチが存在すると思いますが、その中から自分に合った効果的なものを選ぶには試行錯誤する必要があるでしょう。実際、時間のかかる作業です。あれこれ試すのは大切なことですが、例え練習メニューを変えていったとしても、最終的には自分の中で一貫したものを築く必要があります。「自分はこういう練習をこれだけやってきたので、試合でこういうパフォーマンスが出来るんだ」と言えることは勝負のかかった場面で確固たる自信を持ち続けるために、一番の支えになるものです。すべては試合の一瞬まで線でつながっているのであって、一瞬の勝負どころも毎日の継続の中の一点でしかない、ということです。

結局のところ、自分にとって「メンタルの強さ」というのは、パフォーマンスを行う一瞬の状態を指すものではなくて、その一瞬を作り出す日々の中に表れる性質だと思います。勝負の一瞬という「点」までを結ぶ日々の無数の点が積み重なることで、力強い一本の線になるというイメージです。

さて、これはあくまで自分が思っているところの「メンタルの強さ」です。みなさんはどうやって「メンタルの強さ」を言葉にできますか?

13 comments:

Tom said...

うーむ、相変わらず深いテーマですねえ苦笑
「継続」と「一貫性」を点を用いて説明したのは、大変分かりやすかったです。ちょっと新たな視点をもらったように思います。これはtakaさん独自のアイディアなのですか?
僕の感覚では、メンタルはいくつもの点を、一つの線につなげる力ではないかとも思います。

てつかず said...

継続と一貫性、確かにその通りだと思います。 同じことを別の表現にしているだけかもしれませんが、私は『具体的な目標をどの高さに置いているか』の差だと思っていました。私の大学時代でも、Jリーグに入ることを考えている人と、ただうまくなりたいとだけ思っている人では、自分の追い込み方も違っていたように思います。

ただ、同じメンタルでも、こういった継続性と一貫性を求められる部分と、瞬間的な緊張を求められたときに発揮する力とは別物なんじゃないかなっていうのが私の思うところです。 野球はもちろんのこと、ゴルフのウィニングパットやサッカーのPKなんかもそうですが、勝負強い人と弱い人がいますよね。 継続と一貫性をもってトレーニングを続けている人でも、一発勝負の場面で力が発揮できない人がいるように思えます。

これを言ってしまうとたかさんの勉強していることの意味を問われてしまいそうですが、生まれつき気の強い人と気弱な人っていますよね? そういう違いも関係してるのかなってちょっと思ってます。

考えがまとまってないのにコメントしてしまってすいません.. 

said...
This comment has been removed by a blog administrator.
said...

>Tom
コメントありがとう。いやあ、あんまりこんなテーマばっかだと読者が逃げるかな 笑?点と線を用いて何かを言い表すという手法は真新しいアイデアではないと思うけど、メンタルの話で用いてるのはまだ見たことないかもしれないな。今回一番強調したかったのは、成功しているアスリートの場合、天才とか、メンタルが強いとかって、さぞ先天的なものであったり、ここ一番で発揮される瞬時のものっていうイメージを持たれがちなんだけど、そうじゃないんじゃないのっていうこと。彼らがやってる日々の積み重ねを同じようにやってみたら、パフォーマンスのレベルはともかく、メンタルの境地はかなりレベルアップ出来ると思うけどなーっていうことなんだけどね。Tomはどうやって「メンタルの強さ」を表現する?(宿題 笑)

>てつかずさん
いつもコメントどうもありがとう。同じく自分の学生時代を振り返ってみて、やっぱり具体的に目標を持ってる人、高い意識を思ってる人って妥協しないよね。

「生まれつきの気の強さ」が必ずしも「勝負強さ」につながるかどうかはわからないけど、てつかずさんのいううとおり実際、勝負強い人とそうでない人ってのはいると思う。人と同じことをやってても本番で成功する人としない人がいるわけだから。それは性格に起因するのかもしれないね。

瞬時に力を発揮する、しないが勝負の分かれ目ということもその通りで、それは言葉の上では継続性や一貫性と相反するものだとは思うんだけど、ボクの思うところではその継続性や一貫性を持って日々の練習に臨んでいる人間が、勝負どころの一瞬で力を発揮出来ることにつながるんじゃないかっていうことなんだよね。

もちろん継続性や一貫性を持ってトレーニングをしてても、ここ一番で力を発揮出来ない人はいるでしょう。でも、競技レベルが上がれば上がるほど、この2つは不可欠であって、生来的にもっている勝負強さというものだけでは太刀打ち出来なくなるんじゃないかなあって思っています。ま、両方持ってれば鬼に金棒だけどね。

ま、今回は「メンタルの強さは何か」という問いかけについて、自分は瞬時の勝負強さを持っているということより、継続すること、一貫して取り組むことの方が強靭なメンタルが必要で、それが結果的にはアスリートをここ一番での成功に導く要素なんじゃないかって思ってるってことです。あくまでもボクの考えで、ということでね。なので、てつかずさんの言ってることもよくわかりますよ。

ちなみに、てつかずさんは瞬時の勝負強さを持ってる人とか、生まれつき気の強い人とかの性質をもう少し言葉にできますか?

てつかず said...

前言撤回です。 っていいますか、たかさんのコメントをちゃんと読んで自分の考えが浅かったことに気づきました。 『競技レベルが上がれば上がるほど』というのがミソでした。

私は身体的強さとか速さ、頭のよさといった才能とメンタルを混同してしまっていたのかなと思います。

例えばサッカーブラジル代表のFWロナウドは、ブヨブヨの体をしてますが、瞬時のスピードで相手をかわして得点することがまだ出来ます。彼は練習をサボることでも有名なので、そこの部分だけみると継続と一貫性ではなく、突出したスピードという才能を発揮しているだけというようにみえますが、彼の場合も膝の靱帯を断裂するなど、度重なる怪我を継続と一貫性をもったトレーニングで復活してきているので、やはりメンタルの部分も鍛えられているということですね。

えいいち said...

どーも。
お言葉に甘えて思ったこと書いちゃうと、俺的にもメンタルが強いっていうのは、瞬間的な強さってイメージが強いね。確かに継続性や一貫性はすごい大事だと思うし、レベルが上がれば上がるほどそこまで求められてくると思うけど、瞬間的に力をだせるってのは継続性や一貫性とは別に決断力とか創造力みたいなところに強さの秘密があるような気がするんだよね。うまくいえないけど、これまでやってきたことを大一番ですっぱりあきらめてちがうことができるとか、おまえその場面でそんなこと考えてたの?みたいな感じ。バッティングフォームは2つ3つ持ってるバッターのほうが強いってどっかの一流選手が話してるのを聞いたことがあるんだけど、こりゃだめだってときに切り替えられる強さがあるって言ってた。まぁすべて準備した上での話しなんだろうけどね。

実際のところ個人的に継続性も一貫性も耳が痛く・・・。最近は意気込みについてこれなくなってきた肉体とのギャップに苦しんでます。これもメントレかな?

said...

>てつかずさん
いやいや、思ったことを遠慮なく書いてください。何回でも書き直してくれてもいいですよ。ロナウドは今大会もいろいろ非難がある中、監督だか誰だかが「彼は5秒で試合を変えられる選手」とか言ってずっとかばってたと思う。それってただ技術や体力が優れているだけの選手ではないということだよね。てつかずさんの言う通り、ケガの克服というのもメンタルが大きく関わってくると思います。また、ケガをきっかけにメンタルに変化が訪れるということもあると思います。ざっと見渡してみてもケガを克服した選手ってどこかたくましく見えますよね。

>ええちゃん
たぶん、こういうお題で話を始めたら、みんな各々の経験やバックグランドが反映された答えになるんだろうね。メンタルの強さを表すのに瞬時の決断力とか、気持ちを切り替える力ってすごくよくわかる。それってまぎれもなくメンタルの強さだよね。自分の場合、ええちゃんも書いてる通り、しっかり準備出来て、自分に自信が持ててる時ほど、瞬時の判断や決断も出来てて、どこかに不安がある時ほど瞬時で迷ってしまう、という傾向があるような気がするんだよね。なので、結局は継続性や一貫性に戻ってきてしまうってのがオレにとってのメンタルの強さになっちゃうんだよね。でも一般的にはメンタルの強さって瞬時の強さをイメージする人が多いんじゃないかなーって思ってるけど。
ちなみに、肉体と意気込みのギャップについては、肉体をいたわった上で意気込みましょう 笑

matsu said...

遅ればせながらコメントします。
まず論点を明確にしたいので、「勝負強さ」ってテーマに絞って書きますね。

ここ一番で結果を出す確率が高いヤツって何が違うんだろう?例えばバッティングで考えてみます。

順を追って紐解くと、まず直接的な要因としては、「正しいスイングが出来ること」、これが第一。投手は打たれないように必死に投げてくるから、打てる球が来る確率はそう高くはない。よって、たまにくる甘い球をミスショットせずに打ち返さねばならず、そのためにはスイングをミスる確率を減らすこと。これが勝負強さの直接的な条件。

じゃあ、スイングをミスるヤツとミスらないヤツ、何が違うかというと、「呼吸」、「心拍数」などの体内の変化がどうかってのが気になるところ。呼吸が乱れるから筋肉が硬くなりスイング崩れる、逆に呼吸が安定しているから力の抜けたミスのないスイングが出来る、こう考えられるんじゃないか。

さてここからが本題です。呼吸が乱れる、乱れないの原因となってるものは何か?キーワードは「自信」だと思う。自信があれば脳みそから「いいモン」が出て心が落ち着く。自信がないから脳みそから「変なモン」が出て呼吸が乱れる。そんな風に感じてます。
では自信って?自信を大きく二つに分けると「先天性」のものと「後天性」のもの分類されるんじゃないか。前者は遺伝とか突然変異?による天性の自信家。ま、これは今回の議論の対象外としましょう。我々には中々コントロール出来ない部分なので。で、問題は後者。後者も二つに分けてみます。ひとつは「能力が高いことによる自信」、もうひとつは「過去の成功体験からくる自信」。ちょっと切り口、いまいちかな~。

ま、一応説明。。。

「能力が高いことによる自信」
例えばバッティング。「この投手なら結構な確率で打てそう」と思えれば自信持って臨めるよね。100mを8秒台で走れれば、オリンピックで緊張することはないよね、たぶん。程度問題はあるが、要はうまいヤツほど緊張する確率は低くなる、そんな法則があると思う。さすがに中学生と試合したら、そう緊張はしないだろうし。

では次。。。

「過去の成功体験からくる自信」
例えば甲子園で死闘を勝ち抜いた経験者である松阪は、その後大舞台に遭遇したときに「俺はできる!」と心により所があるんじゃないかな。そんな凄い話じゃなくても、大会で好投手と相対したような場面で、以前そいつから練習試合でヒットを打った事があれば少しは楽な気持ちで臨めるとか。どちらの例も、自分の中に「きっと上手くいくんじゃないかぁ」という「イメージ」がある。この成功体験からくる「イメージ」ってのが超ポイント。過去に上手く出来た「イメージ」があれば、より客観的に「上手くいく」と思えるから自信を持ってプレー出来る。

では、上記のような具体的成功体験に乏しい人はどうすればいいのか?ここで、「一貫性」と「継続性」に話は繋がるんだけど、一貫性というのは、つまりは試合のための練習をすべきという考え方と解釈すると、表現を変えれば「練習で試合の成功体験をしておこう」、「イメージを作っておこう」という考え方なのかなと思う。練習のための練習では、試合のイメージ、成功体験を体に刷り込むには至らない。だからやっても無駄。でも、試合のための練習は、試合同様の成功体験を積めるから、すなわちイメージを刷り込むことができ、結果として自信を創出することが出来る。技術の向上も同時に見込めるから、一石二鳥なんてね。

そして「継続性」。「一貫性」すなわち練習の「質」にプラスして、「継続性」すなわち「量」という要素をも加えるということ。継続性って言葉には、地道な練習を継続する忍耐力的な意味合いもあるけど、成功体験を反復し自信をより強固にするって意味もあると僕は捉えました。くどいけど、意味のない練習を継続しても効果は薄く、あくまで「質」の高い、「一貫性」のある練習をしないと意味がない。そんな感じかな?

そしてもうひとつ自信に繋がる要素として思うのは、「周囲の人間に認めて貰えること」。これは自分にコントロール出来ない範疇なので、本人は意識すべきことではないが、親やコーチは大いに考えるべきことだと思う。幼い頃から褒め上手な親に育てられると、褒められた経験は成功体験となって子供の心に自信が根付く。逆に批判的な親に育てられると、成功体験が乏しくなり、何をやっても上手くいかないと悲観的になり不安人間となる。そんな法則。これはコーチも同様。「お前はダメだ」と言われ続けると本当にダメだと思ってしまい、ここ一番で「きっとダメなんじゃないか?」という不安に苛まれる。逆に「お前すげえよ」って育てられれば、ここ一番で「俺、うまく出来そう」って思える。コーチの一言が成功体験にもなり、失敗体験にもなる。勝負強い子や選手を育てたければ、どれだけ日々の中で成功体験を積ませてあげられるかが重要と思う。生まれつき勝負強いヤツって議論があったけど、きっと生まれつきってのより、親が小さい頃から子供とどう接してきたかってのに案外依存してるのを、生まれつき強いとか弱いとか、勝手に思ってるにすぎないのかな、なんて思ったり。

まだ書き足りないんだけど、とりあえずこの辺で。まどろっこしくてすいませんでした。

matsu said...

すまん、止まらなくなった。もういっちょ書かせて。

今、高校野球シーズンですけど、例えば自分が高校野球の監督だったら、勝負強い子供を育てるためにどう指導をするか?

俺だったら、

「甲子園で優勝するぞ!」
「でも甲子園優勝は手段であり目的ではない!」

こう言いたい。

どういう事かと言うと、以前の議論に似てるけど、「野球をする目的」とか、「人生を生きる意義」とか、そんな話に繋がる。

先日も書いた気がするけど「生きる目的」は、「人間性を高めること」だったり、「魂を磨くこと」であって、金持ちになることでも、偉くなることでも、甲子園で優勝して優越感に浸ることでもない。短い人生の中で、僕らが求めなければいけないのは、「人に対するやさしさ」だったり、「自分の可能性にチャレンジし自己を高めること」だったりで、決して今の社会が評価軸としている「結果」というものが最終目的ではないんだと思う。資本主義社会が当たり前の時代がゆえに、何の疑いもなく唯物的な価値観、すなわち地位や名誉、収入、学歴、学校の成績の良し悪し、スポーツの勝ち負けなどを評価し、また我々もそれを目標に掲げ日々暮らしているわけだけど、それはあくまで本来目的を達するための「手段」であり「目的」ではない。自己を磨くための手段として、「勝利」を目指すというプロセスがある、そのように思う。

またしても長い前置きになったが、こんな風に考えると、「結果を出したい」、「勝ちたい」という表面的な結果への執着心がなくなり、「やれることをしっかりやろう」、「それでダメなら仕方ない」といった風に、腹を括ってプロセスにフォーカスすることが出来るから、ここ一番で心を乱すことなく、地に足の着いたプレーが出来るんじゃないかと。

メントレの勉強をいろいろしてみて思うんだけど、こういった根本的な価値観(土台)がしっかりしていなければ、プラス思考で考えようとか、腹式呼吸をしようとか、結果じゃなくプロセスにフォーカスしようとか、どんなに言ってみたところで、それは表面でしかなく本質ではないんじゃないかと。人生の目的は?なんてテーマを真剣に考え、心の底から「結果ではなくプロセス」と思えてはじめて、土壇場で迷いのない最高のプレーが出来るんじゃないかと思う。いい結果を出したいから、一生懸命メンタルテクニックを使って頑張っているうちは、所詮そこまでの人間って事でたいしたプレーは出来ないんじゃないかな。

俺が考えるメンタルの強さとは、突き詰めるとこんなところに行き着く。。。

said...

matsu、コメントありがとう。まるで大学院でスポーツ心理学を勉強してるかのようなコメントだね 笑。マジでレベル高いよ。でも、実際心理学の類いのものって、人間の行動をじっくり観察している人にとっては、真新しいものではないと思うよ。matsuは日頃から素晴らしい観察量とスポーツ心理学への勉強量を持っていることが、このコメントから伝わってくるよ。
さて、まず書き込み1の方からコメントしていくよ。

>「正しいスイングが出来ること」
>「呼吸」、「心拍数」などの体内の変化
正しいスイングが出来ることというのは、技術の話だよね。その技術を実行するのは「体」の部分。で、その「体」の状態に影響を及ぼすのが生理的な部分で、それが呼吸やら心拍数を含んだ部分になる。で、その生理的な部分に影響を及ぼすのがメンタルな部分になる。そんなつながりになるかな。

>「能力が高いことによる自信」、もうひとつは「過去の成功体験からくる自信」
で、そのメンタル面と自信とのつながりってのはいい指摘だと思う。極論を言えば、自信があればメンタル面はかなり落ち着いてくるからね。ちなみに、matsuが挙げたこの2つはカブるところもあるのかな、と。「能力が高い」という確信は、おそらく過去にこの程度のピッチャーは苦もなく打てたとか、そういう経験に基づくものだよね。ま、いずれにしても過去の経験というのはとても大きい。

>「練習で試合の成功体験をしておこう」
「一貫性」という言葉をmatsuが置き換えてくれたわけだけど、これかなりわかりやすい。こういう位置づけで練習に取り組んだら、かなり質の高い練習が出来るような気がする。ちなみに、もう一つ踏み込むと、試合を「自分がこれまで成功してきたことを発揮する場」と捉えると、選手の不安も軽減されるような気がするし、相手によってこちらのメンタル面が左右される心配が少なくなると思う。

>成功体験を反復し自信をより強固にするって意味もある
もちろん、「一貫性」と抱き合わせての「継続性」なので、あるテーマにおいて「成功」を繰り返せば、そのテーマを試合において発揮することには自信を持て臨める。その「一貫性」を探し当てることが、選手にとって自信を持って試合に臨める鍵になってくると思う。

>「周囲の人間に認めて貰えること」
これって実は人間の中で、最も影響力のある要素なんじゃないかって思う。これがあれば、自信にもモチベーションの原因にもなるし、これがないと、自信の欠如や無気力につながると思う。

>生まれつき勝負強いヤツって議論があったけど、きっと生まれつきってのより、親が小さい頃から子供とどう接してきたかってのに案外依存してる

自分が修論のテーマにしてきた「talent development」という分野でも、もともとは「talentとは何か?」という議論がありました。だけど結局、先天性を調べる方法論というのがかなり難しい。なぜなら生まれた瞬間から、人間は既にかなり多くの外的要因のなかに晒されているので。ということで、matsuの指摘のように、その人間が親を始め、コーチや学校の先生など周りの人間と過ごしてきた時間が、その人間が自信を持てる、持てないということにつながるというのはうなづけるよね。

とはいっても、個人的には子育ての経験上、人間の先天的な性質ってやっぱりあるんだと思うんだけど、それが環境によって生き続けたり、消滅したりするということなんだろうね。でも、自信についてはやっぱり環境面は抜きにして語れないでしょう。


ということで、matsuさん、次のブログはmatsuが書きますか 笑?というのは冗談で、次回のブログは、今回matsuが強調してた「自信」について書いてみたいと思います。とはいっても、実はmatsuが今回既に半分くらい説明してくれたようなもんなんだけどね。

said...

>matsu
続いて、書き込み2についてのコメントを書きます。一言で言うと「全くその通り!」って10回以上叫びたい。飲み屋で一緒に飲んでたら間違いなく抱きついてたね。でもって、食べかけの焼き鳥のくしがのどにつきささってたね。

実は、「手段」「目的」の話って自分は小学校の時から父親に言われてたんだよね。あの頃はわかったようなわかってないような(わかろうとはしてたんだけど、わかってなかったんだろうね)感じだったけど、今ではよくわかるよ。子育ての答えって、いつになって表れるのかわからないもんだねぇ 笑。お父さん、ありがとう。

それと唯物的な価値観ってのも、自分ももちろんハマってしまってる部分はあるんだろうけど、やっぱり極端なものをみてしまうと悲しいものがあるよね。人間って、目に見えるもので安心が欲しいから物質的なものや、結果を追い求めていく一方で、たいていその限界について分かる時がいつか来る。でもやめられない。だから、宗教とかカウンセリングとか和尚さんとかに救いを求めるようになるのかなー。

>メントレの勉強をいろいろしてみて思うんだけど、こういった根本的な価値観(土台)がしっかりしていなければ、プラス思考で考えようとか、腹式呼吸をしようとか、結果じゃなくプロセスにフォーカスしようとか、どんなに言ってみたところで、それは表面でしかなく本質ではないんじゃないかと。

ここの部分には「その通り!」を声が枯れるまで言い続けたい。実は、メンタルトレーニングの本を書く人は、ここを一番強調してほしいんだよね。数あるメンタルトレーニングのテクニックは確かにメンタルの状況に助けになるものだけど、本当に大切なことはメンタルトレーニングのエッセンスを自分の中での価値観や、スポーツをやる意義に取り込むことだと思うんだよね。じゃないと、プラス思考→パフォーマンスの向上、とかイメージトレーニング→パフォーマンスの向上とかだけだと、「スポーツ心理学=怪しい」「スポーツ心理学=おまじない」という域からなかなか脱しきれないような気がするんだよね。つまり風邪を引いたから風邪薬を飲むというのではなくて、日頃から栄養と睡眠を充分に取って、適度に運動してくださいっていうのが本質だよね。

>人生の目的は?なんてテーマを真剣に考え、心の底から「結果ではなくプロセス」と思えてはじめて、土壇場で迷いのない最高のプレーが出来るんじゃないかと思う。

たまに出産を経験した女性アスリートや、一度リタイアしたアスリートが、また一線に復帰して活躍出来るようになるっていうのは、こういうテーマが自分の中で明確になったからじゃないかって思う。そういう選手は土壇場でも、周りからどう言われても、揺るぎない信念や目標が自分の中で確立されているんだろうね。

matsu said...

いや~、意気投合出来て何より。今度の帰国はいつだい?浴びるほどビールおごりまっせ。 

>matsuが挙げたこの2つはカブるところもあるのかな、と。「能力が高い」という確信は、おそらく過去にこの程度のピッチャーは苦もなく打てたとか、そういう経験に基づくものだよね。

ご指摘のとおりガブってるな。「漏れなくダブりなく」ってのを意識したつもりだったが
ナイス指摘!ちなみに「漏れ」って観点から言えば、「セルフコントロール能力」てのも一流選手になるための重要な要素と思ってるので、また機会があれば議論させて欲しい。


>もう一つ踏み込むと、試合を「自分がこれまで成功してきたことを発揮する場」と捉えると、選手の不安も軽減されるような気がするし、相手によってこちらのメンタル面が左右される心配が少なくなると思う。

そうだね。いずれにせよ「一貫性」を持たなければいけないってことに帰結するね。今日は大会前最後のオープン戦だったんだけど、一貫性を持たせるために、「今日が大会の1回戦、来週の本番が2回戦だと思って、今日負けたら来週はないという気持ちでやろう」と試合前に皆に伝えた。仕切る人間の言葉のかけ方ひとつでチームの取り組み姿勢ってのは変わってくると思う。いろんな「コメントの引き出し」を増やさないといけないなぁと日々感じてるので、是非そんなトピもお願いしたい。

>その人間が親を始め、コーチや学校の先生など周りの人間と過ごしてきた時間が、その人間が自信を持てる、持てないということにつながるというのはうなづけるよね

だよね~。自分は親に褒められたことがほとんどなかったなぁ。だからミスすると、また何か小言言われるんじゃないかって、いつもビクビクしてた(笑)。幼少期はあまり自分に自信を持てない人間だったね。ま、それでも自信を持ち結果を出さなければいけないんだと四苦八苦した経験が今に繋がってるからいいちゃいいんだけど。

まだ頭が整理できてないので上手く説明できないけど、「国民性」ってキーワードでも議論してみたいなと思ってる。メンタルが強い国民性、弱い国民性ってあるんじゃない?それって何?とかね。なんとなくだけど、ニッポンの子育てって、マイナス思考の子供たちを育てあげるようなやり方が主流だと思わない?あとマスコミやテレビの解説者の影響力も見逃せないかな。「1億総マイナス思考」に誘導するようなコメント、そんな発言を聞くととても残念になる。テレビで発言する人たちには、是非メントレを学び、世のお父さん、お母さんたちにプラス思考を植え付けてもらいたいもんです。影響力は極めて大きいわけだから。


>飲み屋で一緒に飲んでたら間違いなく抱きついてたね

ははは(笑)。抱擁は「青春の館」以来だな。あれから約10年が経過したよ。

>つまり風邪を引いたから風邪薬を飲むというのではなくて、日頃から栄養と睡眠を充分に取って、適度に運動してくださいっていうのが本質だよね。

いい例えだ。本質を見よう。ちなみに癌手術の権威である名前忘れたけど、アメリカで超有名な日本人のお医者さんが、「基本的に薬ってのは毒です」って言ってます。西洋医学ってのは、「臭いものには蓋をせよ」もしくは「悪いところは切断」みたいな、すごく乱暴な価値観に基づいており、医学ってのは、体の免疫力や自然治癒力を高めることが本当は正しい。そしてそれが東洋の思想。以前からお前には何度も言ってるけど、俺の勝手な想像では、メントレの世界も西洋の人たちが確立してきた学問で、彼らには東洋的なものの価値観が欠落している(もしくは興味はあるけど体でわかってない?)ように思えてならない。ま、この点は何も知らない素人が勝手に言ってるだけだから間違っていたら御免。ゆえに、「気」「禅」「無心」「武士道」なんてのをアメリカで学んでいるスポーツ心理学と融合させて欲しいんだよね。最近、軽く仏教の本とか読んでると、東洋人のメンタリティってすげえ本質を見てるなぁと、あらためて先人たちに畏敬の念を抱かずにいられないのよね~。明治維新以降、必死に西洋化を図ってきたのは時代の必然で決して否定すべきことではないんだろうけど、長い日本の歴史からすれば、そんな時代はたった200年弱であり、言ってしまえば今の時代が突然変異みたいなもの。日本ってのは、いい文化をず~と大切にしてきたのよ。それを失う前に取り戻さないといけない。親の世代には、そんな価値観を持ってる人たちは結構いるけど、俺ら世代はそんな教育受けてきてないからよく分かんない。。。最後の砦かもしれないな、なんてね。

said...

いやいや、遅くなってごめん。いい話をいろいろありがとう。

>いろんな「コメントの引き出し」を増やさないといけないなぁと日々感じてるので、是非そんなトピもお願いしたい。

これはホントにそう思う。特にモノを教える立場、指導する立場の人間は常に聞き手のことを考えないといけないと思う。聞き手を退屈させず、心にすり込まれるような印象に残るトークね。そのためには、表現力、パブリックスピーチ能力、そしてコミュニケーション能力がとても大切だよね。そして話す力と同様に、もしくはそれ以上に聞く力も必要。選手と監督という立場では、「聞く力」というと選手に迎合しなければいけないのかと思われるかもしれないけど、そうではなくて自分のやり方や方針がしっかり浸透しているのか、とか選手が実際どういうことを感じているのかということを、日頃の何気ない会話とか、時には面談をしたりして、聞くことって大切だと思う。

>「1億総マイナス思考」

国民性って一言に言うのは難しいけど、日本人が往々にしてマイナス思考というのはあるかもしれない。一つは、自信の欠如から派生しているものかもしれないなって思う。日本人の考え方って謙遜や謙虚の美徳があって、自分自身でもそれを意識するし、他人にもそれを期待するみたいなところがあるよね。そういう風土が自信を表現したりすることを抑制して、下手すると自信を持つことすら制限される傾向にあるような気がする。例えばテストで90点取っても、先生から「まだまだこれにおごらず、ますます努力するように」って言われたとしたら、達成感の余韻もあまりなく、自分の成果を感じる機会もなくなるかもしれない。

アメリカは本当にいろんな人がいるので、一言では言い切れないけど、まあおおざっぱなアメリカ人評と思って聞いてほしい。自分のこれまでの感覚だと、ポジティブな人が多いというよりは(実際は日本より多いのも確かだと思うけど)ポジティブを表現することに対して、日本で謙虚でいることと同じくらいの美徳があるような気がする。例えば、日本人なら90%くらい出来るという確信があっても「出来るかわかりませんが、精一杯やってみます」と言えば、何となくお互い気分がいいよね。でもアメリカ人は70%くらいの確信しかなくても「自分なら出来ると思うので、やってみせます」って言った方が何となく丸く収まるような気がする。妙に謙虚に出ると、自信がないとか、下手したらやる気がないんじゃないかとさえ見られるかもしれない。

あと、アメリカ人ってストレートにモノを言う人たちってイメージがあると思うけど、根本的にアメリカ人のコミュニケーションの基本として、相手を面と向かってへこましたり、辱めたりするということにはけっこう気を使っているように思う。彼らはプライドをとても重んじるから。だから、例えば相手に努力を促すときでも、「100の成果が欲しいなら、当然100の努力をしなければいけないよ。80の努力を選ぶんなら80の成果しか得られないよ」というアプローチ。そのかわり彼らは考え方はシビアだから、自分が100の努力を求めてるのに、相手が80の努力しか見せなければ、その人にはそれなりの評価を下す。努力の方法にしても、こちらからアドバイスを求めれば答えてくれるけど、向こうから「これをやれ」ということはあまりない。それに対して「80の実力しかないくせに80の努力に甘んじてるとは何事だ。100の努力をしてみせろ」ってのが日本人のアプローチのような気がする。そして、方法論についてもわりと手取り足取りというのが普通だよね。この両者の違いをどうとるかはその人の価値観によるだろうね。アメリカ人が素っ気なく映る人もいるだろうし、逆に、自己責任を徹底してて、他人をあまり干渉せずやりやすいと思う人もいるだろうし。そういう意味ではアメリカの方が自由だけど、いざこういうアプローチを目の当たりにすると、意外と戸惑ってしまって、どうしていいかわからないっていう日本人もいると思う。まさしく「平等なのは機会であって、あとは自分次第」という姿勢なのがアメリカ。「平等に手取り足取り指導する」ってのが日本。まあおおざっぱな分け方だけど。

面と向かってへこまされる可能性が少ない分、アメリカ人の方が自信をキープ出来る可能性が高いかもね。80の努力で80の成果しか見せてないヤツが、自分でそれがベストだと思ってれば、直接何も言われない限り「オレは一生懸命やってて成果を出している」ということになる。でも、周りは実はみんな90以上の努力で90以上の成果を出してて、実は「何やってんだ、アイツ」ってなれば、「アイツは成果の割には自信過剰」みたいなことになるよね。これはたまに耳にする日本人の間でのアメリカ人評でもあるけど 笑。どっちが幸せかってなると、何とも言えないねぇ。

>「気」「禅」「無心」「武士道」なんてのをアメリカで学んでいるスポーツ心理学と融合

それは最近、勝手に自分の使命かもしれないと感じてます 笑。まだあまり自分でも、日本でこういう研究がどのように行われてるか、よくわかってないんだけど、自分が見てきた限りでは、アメリカのスポーツ心理学の教科書なんかでは目にしたことないので、いつの日かそういうものがスポーツ心理学の中で理解を得られたらいいなと思ってます。なので、とりあえずいい本見つけたら教えて。

>日本ってのは、いい文化をず~と大切にしてきたのよ。それを失う前に取り戻さないといけない。

いいね〜。ぜひその姿勢を貫いて、ゆくゆくは街の名物おじさんみたいになってほしいね 笑。「あの手足の長いおじさん、言ってること難しいんだけど、何となく説得力あるんだよなー」ってな感じで。