Friday, September 15, 2006

なぜスポーツに向かうのか?

みなさんご無沙汰してます。
週一回は更新します、と豪語してからはや1ヶ月。月日が経つのは早いもんですねぇ。さて、張り切って再開したいと思います 笑

ところで、みなさんはなぜスポーツに向かうのでしょうか?この問いにはいろんな答えがあるでしょう。「好きだから」というシンプルなものから、「勝負ごとで他人に勝ちたい」、「目立ちたい」、「難しい技が出来るようになりたい」などいろいろな要素があるでしょう。つまり、この「なぜ?」という問いの答えがモチベーションなわけです。 実際には、この「なぜ(Why)?」に「どのくらい(How much)?」を加えて、その選手のモチベーションの方向性や程度を把握することになりますが、今回はその「なぜ(Why)?」を分析していきましょう。

では、そのなぜ(Why)ですが、「競技そのものが好きだから」、「競技そのものが楽しいから」という選手は内発的動機(Intrinsic Motivation:IM)によって競技に取り組んでいることになります。それに対して、外発的動機(Extrinsic Motivation:EM)があって、このEMはさらに外的規制(External Regulation)、取り入れ(Introjected Regulation)、同一視(Identified Regulation)の3つに分けられます。それぞれ説明しますと、
  • 外的規制(External Regulation)とは、外部の報酬、お金や賞品によって動機づけされることです。
  • 取り入れ(Introjected Regulation)とは、自分の中で「〜しなきゃいけない」と思うことから競技に取り組みます。これは一見IMに見えますが、結局、自分の中で自分に課したルールのようなものに左右されているのでEMになります。このタイプの選手は、もし練習をサボると罪悪感を感じるので、練習に向かいます。
  • 同一視(Identified Regulation)とは、自分から取り組んではいるのですが、そこには楽しみや喜びを見いだせていない状態で、単にかっこいいからといったような理由で競技に取り組んでいます。
そして、IMにもEMでもなく、何で競技に取り組んでいるか分からないという、非動機づけ(Amotivation)という状態があります。これは「何をやってもダメだ」という考えになってしまう学習性無力感(Learned Helplessness)に繋がる可能性があります。

今までのところを表にまとめますと
  • 非動機づけ(Amotivation)
  • 外発的動機(Extrinsic Motivation)
    • 外的(External Regulation)
    • 取り込み(Introjected Regulation)
    • 同一視(Identified Regulation)
  • 内発的動機(Intrinsic Motivation)
この表では、下に行けば行くほど、自己決定(Self-determination)による行動であると言うことができます。つまり、自分の意志が行動に反映されているということです。ちなみに、自己決定が一番反映されている内発的動機(IM)に影響を与える要素として以下の3つが挙げられます。
  • コンピテンス(≒能力:Competence)
  • 自律性(Autonomy)
  • 他者との結びつき(Relatedness)
つまり、選手が自分の能力を感じることができ、選手自身が自律性を持てて、なおかつ他者(コーチやチームメート)との結びつきを感じられる環境を作ることによって、選手は自分の競技そのものに興味を持って自発的に取り組めるようになる、つまり競技に対して自分の内側からモチベーション(Intrinsic Motivation)が高まっていくということです。

では、外発的動機(EM)はダメなのか?ということですが、必ずしもそうとは限りません。例えば、外発的動機(EM)によって、その選手が自分の能力(Competence)を認識出来る場合、例えば、スポーツ奨学金をもらうことによって、選手が自分の実力を客観的に捉えられるような場合などは、外発的動機(EM)はその選手の内発的動機(IM)を助長する働きが期待出来ます。しかし、選手が「奨学金をもらうために頑張る」というふうになってしまった場合は、報酬のために競技に取り組んでいるということになるので、自己決定(Self-determination)が弱まった行動になってしまい、つまり内発的動機(IM)を阻害することになってしまいます。

さて、みなさんがスポーツに向かう理由はなんでしょうか?


追:今回は少し専門用語が多くなってしまいました。当然、読者にわかりやすく伝えられるように努力をしたつもりですが、実際どんなもんでしょう?このブログは読者の方とボク、または読者同士の書き込みのキャッチボールで成り立っているものなので、わからないところ、リクエストなどがあったら遠慮なくコメントして下さい。

追2:この書き込みは基本的には今、授業でやってる教科書の内容をベースにしていますが、専門用語の日本語訳には「スポーツ心理学 ハンドブック 上田雅夫」(2000、実務教育出版)を使わせてもらっています。もし、対訳が不適当だと気がついた方は是非お知らせください。

ちなみに教科書: Williams, J. M. (2006). Applied sport psychology: Personal growth to peak performance (5th ed.). McGraw-Hill.

6 comments:

Tomoya Shimura said...
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Tomoya Shimura said...

久しぶりのアップですね笑 早速読ませていただきました。
専門的な内容ですが、とても分かりやすくまとめられていて読みやすかったです。
モチベーション理論は、マネジメント学のリーダーシップ論でもさかんに取り上げられています。

スポーツ社会学の授業で、自分の歩んできたスポーツ史を振り返る機会があり、自身のこれまでのスポーツ参加を客観的に考えてみました。最も大きな変化があったのは、自分がスポーツに取り組む姿勢です。

アメリカで初めてバスケットボールに出会った時は、毎日飽きずに1-on-1にのめり込み、シーズンが始まるのが楽しみでしょうがなかったものです。それが日本に帰ってきて、歳を重ねるにつれて、他の人によく見られたいという外的規制や、キャプテンとして自らにルールを課す取り込みの占める割合が増してきたように思います。

内から湧き上がる、燃えるようなモチベーションが消えていってしまった自分に気付いた時、その競技を続けるのは限界だなと感じました。それでも真剣に競技スポーツをやりたいという気持ちは強く、外発的動機をとっぱらっても好きでいられるスポーツをやりたいと、ソフトボールを始めることにしました。そこでは、周りの反応を気にしてプレーをし、周りを引っ張らなくてはならないという重責を一人で背負わずすんだため、練習をしている時も楽しくてしょうがありませんでした。今でもごはん屋でソフトをするのは毎週楽しみです。

競技バスケから離れて数年が経ち、ようやく真剣にバスケットボールをやりたいとの思いが再燃してきました。体育館に行くだけで、うまくて負けず嫌いの連中がゴロゴロいる環境の中、チャレンジ精神がウズウズしている感じです。

こうしたモチベーションの仕組みを日本のスポーツ指導者達が理解し、個々の選手が何を求めてスポーツをしているかを把握することで、バーンアウトや離運動率を低下させることができるのではないでしょうか。

Anonymous said...

貴やん、更新心待ちにしてたよ。
今回も面白いテーマだね。

いい機会なので、自分が野球をやってきた動機を振り返ってみました。なお、勝手に以下のとおり番号付けします。

0、非動機づけ(Amotivation)
外発的動機(Extrinsic Motivation)
1、外的(External Regulation)
2、取り込み(Introjected Regulation)
3、同一視(Identified Regulation)
内発的動機(Intrinsic Motivation)
4、コンピテンス
5、自律性
6、他者との結びつき

○小学校2年、兄がやっているとの理由で無理やりリトルリーグに入団させられた。本当は練習など行かず家で筋肉マンを見ていたかった。
⇒0
○小学3年生で初めてホームランを打ったとき、打つ瞬間に球が柔らかくなる感触がたまらなく気持ち良かった。周りからも褒められて打つことだけは楽しくなったが、依然野球続けないと親に怒られるという義務感が強かった。
⇒2、4
○中学の軟式野球はやらなかったが、好きだった漫画"タッチ"や甲子園中継観て受けた感動により、今度は本気で野球やろうと高校で野球部へ。打つのは得意だし、弱小高校なので何とかなるだろうと考えた。
⇒3、4、5
○高校では中軸である程度活躍できたし、何よりチームメートと喜怒哀楽を共にする環境が楽しかった。
⇒3、4、5、6
○大学でもやれるんじゃないかと思い込んで進学したが、井の中の蛙だったと痛感。日々、早く結果出さなきゃというプレッシャーを感じてた。
⇒2、3、(4)、5、6
○社会に出てからも野球を継続。ノンプレッシャーのない環境で純粋に野球を楽しんでる。
⇒4、5、6

※甲子園のヒーローみたいに活躍したい、自分もああなりたいっていう願望が野球人にはあると思うけど、これは3の"同一視"と解釈したけど適当かな。

said...

>Tom
早速書き込みありがとう。Tomは今一番身近にいる読者なので、いろいろ生の声で感想を聞かせてくれると助かるよ。

ところで、モチベーションの変化に目を向けてるのは面白いね。たぶん、多くの人にとってスポーツへのとっかかりは内発的なんだと思う。だけど成長に伴って、スポーツの成果に名誉やらステイタスが伴うとどうしても外発的な要因を抜きするのは難しくなるよね。それでも高校くらいまでは自分の生活の選択の範囲もそんなに多くないこともあって、がむしゃらに競技に向かえたりする。で、大学から20代の前半くらいまでは、人生の選択の幅も広がりはじめて、スポーツが全てではなくなるので、そこでいかに内発的な要因を持ち込めるかっていうことが、競技スポーツを続けていく要因になるんじゃないかな。で、20代後半から30代くらいになると、むしろ競技スポーツを続けている人は、プロ中のプロ選手はよくわからないけど、それ以外の選手はけっこう内発的なモチベーションが大きく占めているようなイメージだけどね。

>こうしたモチベーションの仕組みを日本のスポーツ指導者達が理解し、個々の選手が何を求めてスポーツをしているかを把握することで、バーンアウトや離運動率を低下させることができるのではないでしょうか。

そのとおりだね。こういう理論を知ってるだけでも違うと思うしね。日本もそうだし、これは指導という立場にいる人は、国、人種問わず誰もが知っていた方がいいことだと思うよ。そして、何より指導者自身も、自分の指導するモチベーションを確かめた方がいいと思う。

>379
書き込みありがとう。同じく自身のキャリアを振り返ってくれたわけだけど、小学校時代の「球が柔らかくなる感触」を覚えてたからこそ、今でも楽しく野球をやれてるんじゃないかと思うよ。そしてチームメートとの結びつきもまた、野球をポジティブな体験にしてくれてるよね。自分もそうだったけど大学時代って自分の中ではある意味苦しんだ時期だったと思うけど、それでも続けたってのはやっぱり内発的なものがベースとしてあったからだと思う。そして、また子供の頃のように純粋に楽しめてる今があるよね。

ところで、「◯◯みたいになりたい」という願望は、「ああならなければいけない」って流れになってしまったら同一視や取り入れと言えるかもしれないけど、純粋に憧れて目標に向かっている分には、内発的って言えるんじゃないのかな。ちょっと確認してみます。面白い質問ありがとう。

>Saipanさん
書き込みありがとう。379にはたまたまメールのやり取りをしてたので、ブログの更新の話をしたんだけど、saipanさんはこの1ヶ月ちょくちょくチェックしてくれてたのかな?これからは更新頑張るよ。

ところで、こういう理論はもちろんスポーツに限ったことじゃなくて、むしろ一般的な心理学をベースにしたもんだと思うよ。なので、今回のsaipanさんみたいに、今の生活に当てはめて考えてくれるのも大歓迎です。

>でもこれって、どうしても相反する要素があって、結局のところバランスを取る必要が出てくる。そして時に自分の中で消化できなくなる。それを自分の中で納得できるように消化できなければ内発的動機は保てない訳だけど、そのためにはやっぱりメンタルトレーニングも必要なんだろうね。

このバランスとりに大きく貢献するべきなのがコーチだって言えるだろうね。チームスポーツは特に個々の実力や役割もバラバラだから、誰かにスポットライトが当たって、誰かには当たらないという場面も出てくる。それでも、チーム全体としてモチベーションを高く保つためには、いかにここに内発的なものを維持させて行くかということになるよね。まあそんなような理論も、そのうち紹介して行くつもりなので、お楽しみに。

あと、もう一つキーワードとして、改めて心に留めてほしいのは、自己決定(Self-determination)。結局、これをいかに自分で感じられるか、だよね。簡単に言えば「やらされてる練習と、自分からやる練習」ね。

>仕事に関しても思うけど、本当は面白いはずなのに、邪魔な外部要因が多過ぎて内発的動機が保てなくなることってあるよな・・・

↑これってまさに、自己決定を感じてないがために、モチベーションが下がってる例じゃない?例えば、自分でせっかくある案件についてプランを立てて取り組もうとしても、上司の意向があったり、客先の要求が急に変わったりとかしているうちに、思う通りに行かなくなってくる。もうひとつ、スポーツ心理学のキーワードを使うとすれば、自分でコントロール出来ていないと感じてくるわけ。そうするとストレスを感じてくるわけだよね。まあ、仕事の例はあくまで自分の中でのイメージで今のsaipanさんに当てはまってるかはわからないけど。。。

>やっぱりfor the teamの気持ちが無かったらモチベーションが保てなくなる。

あとこれ個人的には凄く面白い指摘だと思った。for the teamって学生時代の時も、頭では考えてたつもりだったと思うんだけど、本当の意味で実行出来たのなんて、最後の1年くらいだったと思う。それも今思えば自分のことで精一杯だった中でのこと。

話ちょっとずれるけど、自分が結婚生活や子育ての中で面白いなって思うのは、「妻や子供のため」「家族のため」って心から感じてとる行動の中に、時々「自分自身のため」よりパワーやモチベーションを感じる時があること。つまり、心底for the teamを感じた時のモチベーションって、本当に1+1が3にも4にもなるってことなんだろうなーって感じることがある。逆に言えば、自分が野球をやってる時には残念ながらそこまでteamのためを思えてなかったってことなんだけどね。。。ホント未熟だったよ、あの頃は。

Anonymous said...

ご無沙汰、matsuです。

俺は今、社会人野球のクラブチームで監督をやってるわけだけど、大人のクラブチームですから、監督から何かを強要するのではなく、出来るだけ内発的動機を引き出し、主体的に、自己実現のために野球をやって貰えるような環境作りをしなくてはいけない、それが監督の一番の仕事だと思ってやっています。

とは言え、そこにはいろんなジレンマがあります。なんだかんだ言って、高校卒業したばかりの若者なんかは、「やらされる野球」に慣れてるもんだから、自分で考えて主体的に取り組むって習慣がない奴、多いんだよね。指示待ち族って言うのかな?「最近の若者は~」、「俺がお前の年くらいの時には~」と思わず、嫌なおっさん風のコメントをしたくなるし、「おい、てめぇ、やる気あんのか、コラ」とついつい本性が出てキレそうになる。すると星野仙一だってぶん殴ってんじゃねぇかとか、やっぱ厳しくなきゃ勝てないだろ、なんて言うもうひとりのmatsuが語りかけてきたりする。

そんな悩みもあるんだけど、でも今の俺の中での結論は、クラブチームっていうのは、華やかな世界でも何でもないし、本当に純粋に硬式野球が好きで、自分でチームを探して入門してきた奴らの集まりなんだから、その最初の動機を大事にしてやらなきゃいけないし、結局、主体性が無いように見える奴も、主体性がないわけではなくて、主体的に何をすればいいのか、その方法論がよく分からないだけなのかな、と感じるので、そこは先輩の背中を見て少しずつ学んで貰えれればいいし、日々の会話の中でちょっとずつ伝えていければいいのかな、なんて思ってやってます。

で、話は飛ぶけどちょっと質問。
・監督が怒ってやらせること=外発的動機付け
・監督が褒めて自主性を引き出すこと=内発的動機付け
昔、こんな風に習った記憶があるんだけど、この理解ってちょっと薄っぺらい?
外発的動機付けは良くなくて、内発的動機付けが正しい、だから怒って選手を動かすのではなくて、対話をしながら褒めたり目標設定のサポートをしたりしながら、意欲を引き出していくのが正しいんだ、なんて思ってやってるんだけど、これって正しいのかな?
質問の主旨は、野球界は、いまだ昔ながらのコワモテのスパルタ監督が幅を利かせ、かつ結果を残している人も多いもんだから、一概に講習会で習ったような「チヤホヤ野球(ごめん、表現は最悪)」が真に強いチームを作るやり方なのかって疑問があって、どうしても完全には腹に落ちてないんだよね。ボビーバレンタインが、アメリカ流の明るい感じの野球で優勝すると、「やっぱ厳しいだけじゃダメ、褒めなきゃ」なんて思うし、星野仙一が優勝すれば、「星野みたいな厳しさが必要だ」なんて思っておもいっきり振り回されてる自分がいる(笑)。なんかご見解があれば教えて。

said...

>saipanさん
クラブ野球や草野球をやってる人って、何かしら似た経験をしていると思う。学生の時はある意味、毎日野球をしていて当たり前みたいなところがあったから、あんまりありがたみを感じなかったかもね。実はチームワークとかそういうトピックもスポーツ心理学であるので、またおいおい書いてみるわ。

>matsu

>主体性が無いように見える奴も、主体性がないわけではなくて、主体的に何をすればいいのか、その方法論がよく分からないだけなのかな

実際、こういう人もたくさんいると思う。方法論を探すのも主体性のうちだ、とも思うけど、現実問題、個人の限界もあるからね。例えば甲子園常連校から来た選手は、監督、先輩、OBも含めて、たくさんの技術論や練習方法に触れる機会があると思うけど、そうじゃない学校とかって指導者のレベルも低かったり、OBも上で続けてなかったりとかすると、技術指導や練習内容もあまりレパートリーがなかったりするしね。

ところで、質問の件だけど、現場の人間の葛藤が本当に良く伝わってくるよ。実際、自分自身も教科書とか読んでても「そんなのわかってるけど、毎日グランドに出てて、毎度毎度選手褒めて、ポジティブな態度で接するなんて非現実的だろー」とか思うからね。

ちなみに、「怒る」「褒める」は、まず置いといて、監督がやらせる→外発的、自主性を引き出す→内発的というのはざっくり言えば合ってると思うよ。だけど、外発的動機って幅広くて、例えばタイトル獲りたいとか、楽しくないけど自分のためになるとか、そんなのもこの理論で厳密に言えば外発的になってしまう。そうなると、多くの選手にとっては、内発的、外発的動機というのは両方持ってますってのが、自然なんじゃないかって思うけどね。外発的がいつも悪影響かと言えば、そうとも言い切れないと思うけど、長期的に見れば、やっぱり内発的なものが重要になってくるんだと思う。

で、思うに監督と選手の間に最も必要なことって信頼関係とコミュニケーションで、「怒る」「褒める」ってのはあくまでもアプローチの仕方だと思う。コミュニケーションという点では「怒る」というのは「褒める」ことよりリスクが伴うアプローチかもしれないけど、的外れに褒めてもこれまた、信頼関係を失いかねないからね。

結局、「褒められたいから」も「怒られないように」というのも外発的動機だからね。要は、褒められることによって、コンピテンスを感じたり、監督とのポジティブな関係を感じることによって、内発的動機が高まるんだよね。でも、確固たる信頼関係が築かれてたら、例えばふがいないパフォーマンスをした時に、怒られることによって、監督が自分のことを真剣に考えてくれているって選手が解釈すれば、それは怒られることで監督との結びつきを感じるきっかけになるし、監督が自分の実力はこんなもんじゃないと思ってくれてると選手が解釈すれば、怒られることでコンピテンスを感じるきっかけにもなるよね。

だけど、「褒める」ことも「怒る」ことも、内発的動機に結びつくことがなければ、長期的に見れば、怒られ続けた選手は自律性を失ってやる気がなくなるだろうし、褒められ続けた選手も、もう褒められることではモチベーションを高めることは難しくなってくるんじゃないかな。なので、褒めるってのも、それは例えば、チームの目標があって、その中で個人の役割と責任を選手それぞれが与えられて、選手もそれを受け入れてて、それを満たそうとしている限り、ミスに目をつぶろうとか、少しでもいいところを褒めようとなれば、褒めることが個人のためにもチームのためにもなるんじゃないかな。

それと、以前にmatsuが国民性とかの話をしてたと思うけど、コミュニケーションの話をするときってのは、その文化的背景は抜きに出来ないと思う。スポーツ心理学の分野でも、まだまだアジアの文化を織り込んだリサーチ(上下関係とか、ネガティブコメントの頻度とか)って必要だと思うから(自分が知らないだけかもしれないけど)、これからまた新しい発見があるかもしれないね。