Thursday, June 12, 2008

教わることのありがたさ

剣道をやってます。
始めたのは2年くらい前なんだけど、授業がある学期中には思ったように稽古に行けなくて、いまだに初心者のレベルなんだけど。。。

メンバーは韓国人の先生、日本人の先生に、米、韓、日と若いの古いの、♂、♀といろいろいます。メンバー達は純粋に剣道がうまくなりたいと情熱を持っている人たちばかりで、この日本の伝統文化を本当によく理解していて、リスペクトしています。例えば、「先生」「はい」「よろしくお願いします」「ありがとうございました」という日本語は常に使われています。言葉だけではなく、先生を敬う姿勢、仲間を思いやる態度という今では古いと言われかねない日本の大切な精神文化も、このメンバーの中では見られます。

以前、スポーツ心理学の授業で、剣道の稽古についてレポートを書いたことがあったんだけど、剣道の稽古での一番の特徴は、先生自ら稽古に参加しているということです。防具を着けて、基本の打ち合いの時から、生徒が2人1組になって打ち合う地稽古という稽古の時でも、先生はちゃんと生徒の1人と打ち合います。これは、いわゆるスポーツにおけるコーチとは少し違う点だと思います。もちろんフットボールやバスケットボールで選手と混じって練習するのは容易ではないので、単純に比較は出来ませんが。

実際、自分のような初心者にでも先生は、文字通り「胸を貸して」くれるがごとく、稽古をつけてくれます。基本打ちの型を見てくれたり、地稽古では、先生自ら容赦なく打ってくれることもあります。そして、あえて「打ち間」といって、「この距離、このタイミング」で打つんだよ、というところで、わざと隙を作ってくれることもあります。こうして、実際向き合って先生が自ら教えてくれるということは、本当にありがたいことですし、重みがあります。

先日、もともとこの道場で長い間教えていただいていたM先生が、現在お住まいのフロリダからわざわざ道場を訪ねて来てくれました。先生は、ちゃんとご自分の防具と竹刀を持って来て、我々生徒に稽古をつけてくれました。こうしてまた一緒に剣を交えるというのが、先生にとっても、生徒にとっても再会の喜びを表す一番の手段なのでしょうし、こうした先生の思いというのが、我々生徒にとっても嬉しいものなのです。去年、ある授業の課題で、道場のアメリカ人の同僚2人にインタビューをしたことがありました。日頃から本当に一生懸命剣道に取り組んでいる2人の発言は、立派な日本人の心を持っているように感じ、逆にこちらが心を洗われるような思いになったものです。インタビューの中で、2人は口を揃えて「M先生に教わった剣道を実践しているだけです」と言っていました。そう言い切る2人の表情には、自信と誇りを感じたものです。

そのうちの1人が、初めて大会に出たときのことを話してくれました。初めての大会で、彼は相手に全く歯が立たずに負けてしまったそうです。 しかし、彼の中では、日頃からM先生や、韓国人のH先生から「試合に勝つためだけの剣道なんてやらなくていい。正しい剣道を追求しなさい」と言われてたので、その試合では勝てなかったけど、教わったことをそのまま実践した、という自負があったそうです。時を経た今、彼は相手にそう簡単に崩されることのない、本物の剣道が身についているという実感があるそうです。

こうして、稽古を通じて、生徒は技を教わり、心を教わり、自分の剣道を築き上げていくわけです。そうして、先生から教わったことを、今度は自分のような初心者に、教えてくれます。時間を掛けて技と心を身につけた彼らの態度からは自信と誇りが伝わってくるし、そういう彼らの視線を見ているとこちらは「これが、剣道で目指すべきところなのか」という気持ちになるものです。こうして、同じ理念や目標を共有しているという思いが、世代や国籍を越えてメンバーの間に敬意や思いやりが芽生えてくるのでしょう。

30歳半ば。人生まだまだわからないことはたくさんあり、学ぶことはいくらでもある年齢だとは思いますが、最近、腰を据えて物事を教わるという機会がどんどん減っているように思います。本を読んで知識を得たり、授業を受けて学ぶことはあっても、面と向かって体をつきあわせて、共に汗を流して「教わる」というこの道場での体験は、人々の思いをひしひしと感じとれる、ありがたいひとときであり、他ではなかなか得られないものです。

まあ、とりあえず自分の当面の課題は、うだうだ言ってないで、きっちり稽古をし続けることですが。。。

No comments: