Friday, June 27, 2008

文化を考える

アメリカ生活をしていると、cultureという単語をよく耳にする。遠い島国日本からやって来た自分たちは、ここでは少数派のマイノリティであり、多くのアメリカ人にとってわからないことだらけの人間なのかもしれない。ただ、自分個人の経験から言わせてもらうと、この5年間のアメリカ生活で、今まで自分が日本で体験したこととあまりにも違うのでびっくりしたという経験より、「何だ、アメリカでも同じじゃん」という経験の方が多かったように思う。 もちろん、生活習慣の違いはあるけど、この「人間、本質的にはたいしてみんな変わらない」ということは、自分の中での1つの発見である。

ということで、文化について少し思うがままに。

多くの人にとって文化と聞いて、真っ先に思い浮かべるのは人種や国籍だと思う。確かに、わかりやすい。見た目から、書類上から、一目瞭然。ところが、それらは文化を構成する一部に過ぎない。例えば、自分の場合、少なくとも自覚しているアイデンティティを挙げてみると、日本人、スポーツ心理学の大学院生、父親、夫、元大学野球選手、剣道初心者、などなど。アイデンティティを構成するそれぞれのカテゴリーにはそれぞれの世界や習慣があるわけで、それは一種の文化を築いていると言える。例えば、日本人コミュニティには、日本人コミュニティの文化があり、野球に携わっていた人間には、それ独特の文化がある。こうして、一人の人間が、自分が持つ複数のアイデンティティに基づく、いくつかの文化から影響を受けて、1人の人間として考え方や行動に影響を受けているといえる。

さて、アメリカに来て以来、たくさんの人間と接して来たけれど、国籍や人種という文化的カテゴリーは違うけれども、先ほど自分のアイデンティティとして挙げたカテゴリーを共にする人との時間が多かった。大学院では、同じ専攻の学生に会う機会がたくさんあり、娘の幼稚園に行けば、子ども達の親がたくさんいる。その中で、大学の教授などいようものなら、その人と自分の間には、「親」と「大学関係者」という最低2つの文化を共有することになる。そこで、お互いの共通する話題がちらほら出てくるわけである。例えば、「親」としての話題は、たわいもない子供の話であるし、「大学関係者」としては、授業の話やら、学会の話やら。そうなると、お互い、同じような体験やら、ストレスを抱え込んでいることがわかり、そこで、国籍や人種で分け隔てられている2人の距離が何となく縮まるような感覚になる。特に、お互い同じような苦労に直面しながら頑張っていることや、同じような達成感を味わったことが分かり合えた場合、距離は格段に縮まるように思える。つまり、人間は誰かと何かを共有したり、つながっていたり、共感したりすることを求めているんだと思う。

思うに、異文化コミュニケーションという言葉を耳にすることはあるが、この場合の文化って何を指しているんだろう?単に国籍や人種が違う人間同士ってことなのか、何一つ共通点のない、共感するものがない人間同士のコミュニケーションってことだろうか?もし前者だとしたら、人間は見た目や住んでいる地域が違う人間の中から、共通点や共感し得るものを見つけることを期待しているのではないかと思う。それは、何もおおげさなことではなくて、例えば「お寿司っておいしいよね」とかそういう類いのものでも食文化という意味で文化的な共通点。これは、大いに楽しめると思う。一方で、後者というのは、実際体験してみたらかなりしんどいのではないかと、個人的には思う。

異文化間の交流ってのは、相互理解が不可欠になるわけで、お互いの文化を知ることというのは、とても大切である。人種や国籍を超えて相手を理解するというのは、時として簡単ではないけれど、その人個人が持つ「文化」というものに目を向けてみれば、もう少しとっつきやすいように思える。以前にも書いたことがあるかもしれないけど、日本で野球をやっていた体験というのは、アメリカでの人間関係において、どれだけ役に立ったかわからない。幼稚園に通っている子供の親を通じて出来た人間関係も多々ある。そうした、日常のちょっとしたところから、相互理解って始まるもんだし、人種や国籍、生活習慣の違いにばかり目を向けてばかりいるよりも(それを尊重することは当然大切なこととして)、人間、つながっていたい生き物なんだと考えてみたらどうだろうと思う。


自分がスポーツ心理学で、今、興味があることは剣道をはじめとした武道の世界のメンタルアプローチを調べることである。言うまでもなく、武道の歴史はスポーツ心理学のそれよりはるかに長いわけで、しかも先人たちが長年かけて、心技体のつながりというものを追求してきた分野である。その武道の世界におけるメンタルのアプローチを調べる目的は、単に日本文化と西洋文化の違いに注目して、それを発表することではない。自分の技を磨くことや、それを試合で発揮する上でのメンタルの課題、それを克服するためのアプローチというのは、根幹的に目指している部分では、西洋と東洋、古代と現代、共通点は多いと思う。つまり、その先に目指すものは同じだけど、ちょっとしたアプローチや考え方の違いというのが見られるかもしれない。その中で、将来的には、競技に携わる人間が「これは東洋」「これは西洋」などというカテゴリーに縛られることなく、自分のパフォーマンスを向上させる手段として、武道で行なわれてきたアプローチが、選択肢の一つになればいいな、と思う。実際、もし日本以外の国のアスリートたちが、武道で行なわれているメンタルアプローチを取り入れたりしていたら、それは面白いことだと思う。

異なる文化の間における違いを調べること、つながりを見つけること。そして、それを個々の人間にどう応用できるかを考えてみること。それがスポーツ心理学における文化的研究の面白さだと思う。

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